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ハビエル・バラス・エレラ : ウィキペディア日本語版
ハビエル・バラス・エレラ

ハビエル・バラス・エレーラ(Javiel Varas Herrera, 1982年9月10日 - )は、スペインセビリア出身のサッカー選手レアル・バリャドリード所属。ポジションはゴールキーパー
== 経歴 ==
20歳を過ぎるまでアンダルシア州内のアマチュアクラブでプレーし、2003年にセビージャFCと契約してBチームのセビージャ・アトレティコでプレーした。2003-04シーズンはサン・ホセに、2004-05シーズンはCDアルカラにレンタル移籍し、2006-07シーズンは13試合に出場し、クラブ初のセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に貢献し、その後はトップチームの練習にも招集されるようになった。2008年夏にはトップチームのダビド・コベーニョラーヨ・バジェカーノに移籍し、バラスは明確にアンドレス・パロップの控えという地位に昇格した。2009年1月17日CDヌマンシア戦でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューを飾った。同年10月から11月にかけてパロップが負傷したため、バラスが代役として先発出場すると、出場した4試合でUEFAチャンピオンズリーグVfBシュトゥットガルト戦(3-1)での1失点しか許さなかった〔Squillaci nets brace ESPN Soccernet、2009年10月20日〕。
2010-11シーズン中盤戦以降はパロップを控えに追いやってレギュラーポジションを獲得し、リーグ戦21試合に出場した。2011年夏のマルセリーノ・ガルシア・トラル監督就任後もレギュラーを維持し、10月2日アトレティコ・マドリード戦ではラダメル・ファルカオホセ・アントニオ・レジェスのシュートをセーブして勝ち点1獲得につなげ〔「主導権握ったA・マドリー、好機を逃したセビージャ ともに最後の砦を攻略できずスコアレス決着」 footballista、2011年10月12日号、18頁〕、10月17日スポルティング・ヒホン戦でもオスカル・トレホアルベルト・ボティアの決定機を防いだ。10月22日FCバルセロナ戦では、それまでのリーグ戦7試合26得点のリーグ王者を相手に90分間無失点で凌いだ。後半ロスタイムのリオネル・メッシのPKを含む7本のシュートをセーブし、0-0の引き分けに持ち込むマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた〔Barca held in dramatic fashion ESPN Soccernet、2011年10月22日〕〔「アンダルシアとセビージャの誇り」 footballista、2011年11月2日号、5頁〕。しかし、2012年2月6日にマルセリーノが解任されてミチェル監督が就任するとパロップに再び定位置を奪われるようになった。さらに5月22日にはビジャレアルCFで長く守護神を務めてきたディエゴ・ロペスが加入し一転して立場が危うくなってしまった。
7月3日、5シーズンぶりに1部昇格を果たしたセルタ・デ・ビーゴへ1年間の期限付きで移籍。正GKを守り抜き、17位での残留に貢献した。シーズン終了後にセビージャに復帰するが、レアル・マドリードに移籍したロペスの後釜として加入したベトに定位置を譲り、ベンチを温める試合が多くなった。
2014年8月25日セグンダ・ディビシオンに降格したレアル・バリャドリードへ完全移籍。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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