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ハファンア : ウィキペディア日本語版
ハーフンガー
ハーフンガー(中国語名「哈豊阿」又は「藤 續文」、(モンゴル語File:Hafenga001.jpg),1908年3月8日 - 1970年11月29日)は、ホルチン左翼中旗生まれの内モンゴル人。モンゴル民族の合併統一を唱えた民族独立運動のリーダー。
== 駐日本大使館の外交官 ==
20世紀の30年代から40年代まで、満州国日本大使館の参事官として、東京に駐在していた。ハーフンガーは満州国の駐日本外交官とはいえ、当時のコミンテルンの影響で、モンゴルの完全独立、内モンゴルと外モンゴルの民族統一の理想を実現するため、モスクワ中山大学から帰国したポンサグトゥムルバガナからの推薦で、1932年に同時まだ非公開化の内モンゴル人民革命党に参加。太平洋戦争が勃発後、アメリカを相手に戦う日本にとって、敗戦は時間の問題だと見込み、敗戦後の日本は一旦、その支配下の満州地方を撤退すると、モンゴル民族の統一にとって、大きなチャンスが訪れると判断していた。そのために、内モンゴルの自治と外モンゴルとの合併統一に向けて、準備活動を進めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハーフンガー」の詳細全文を読む



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