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ハリウッドサイン : ウィキペディア日本語版
ハリウッドサイン

ハリウッドサイン(Hollywood Sign)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスサンタモニカ丘陵Santa Monica Mountains)のリー山Mount Lee)の一角にあるハリウッドヒルズHollywood Hills)地区に設置された、有名なランドマーク。このアイコン的なサインは、この地域の地名を、高さ、幅にわたって並べられた文字で表している。このサインは、1923年に屋外広告として設置されたもので、設置後は時間の経過とともに広く知れ渡るようになった。このサインは、しばしば悪戯や破壊行為の標的とされたが、修復工事が行なわれた際に破壊行為を防ぐセキュリティ・システムが設置された。 ハリウッドサイン・トラスト(the Hollywood Sign Trust)という非営利組織が、このサインの物理的な維持、修復、保全と、その歴史的、文化的重要性についての教育の普及、また、活動に必要な資金を集めることを目的として設けられており、サインの保全と営業活動にあたっている。
ひとつひとつの文字は丘の等高線に沿って設置されているため、平地から見上げると「波打つように」見えることがよく知られており、例えば ハリウッド・ビデオのロゴにもその様子が反映されている。しかし、サインと同程度の高度から見ると、右の写真に示されているように、文字はほぼ水平に並んでいるように見える。
このサインは、大衆文化の中にしばしば登場し、特に、ハリウッドを舞台とする映画やテレビ番組のエスタブリッシング・ショット(状況設定ショット)に用いられるほか、例えば、映画『ハリウッド・ゲーム(原題:''The Hollywood Sign'')』(2001年)のタイトルを飾ったり、第84回アカデミー賞作品賞などを獲得した2011年アーティスト』でも再現されているし、CGIで制作された20世紀フォックスの現行のファンファーレ・ロゴの背景にも描き込まれている。このサインを模倣したような、同様のスタイルで別の言葉を綴ったいろいろなサインが、各地に存在している。
== 歴史 ==
このサインが最初に建設されたのは1923年で、当初は「ハリウッドランド(HOLLYWOODLAND)」と文字が並んでいた。サインの当初の目的は、ロサンゼルスのハリウッド地区を見下ろす丘陵地で進められていた新たな住宅地開発の名称を広告することであった。ハリウッド一帯の土地開発を進めたホバート・ジョンストン・ホイットレーHobart Johnstone Whitley)は、ハイランド・アベニューとワイン・アベニューの間に位置するホイットレー・ハイツ(Whitley Heights)を開発した際に同様の広告を行なっていた。ホイットレーは、友人で、ロサンゼルス・タイムズ紙のオーナーだったハリー・チャンドラーHarry Chandler)に、自身も関与している業者が、自社で扱う土地の広告のために同様のサインを作ると示唆した〔''The Father of Hollywood'' by Gaelyn Keith (2006)〕。不動産開発業者ウッドラフ・アンド・シュルツ(Woodruff and Shoults)は、「ハリウッドランド(Hollywoodland)」と名付けた開発地を、「ハリウッドに面した丘陵の素晴らしい環境を、過大なコストなしで」と宣伝した。
ウッドラフ・アンド・シュルツは、クレセント・サイン社(Crescent Sign Company)に発注して、南向きの丘の斜面に13個の文字を建てた。サインを設計したのは、この看板業者のオーナーだったトマス・フィスク・ゴフ(Thomas Fisk Goff、1890年1984年)であった。ひとつひとつの文字は、幅、高さで、全体でおよそ4,000個の電球が付けられていた。このサインは、公式には1923年7月13日に供用されたが、当初は、恒久的な施設とすることは考えられていなかった。サインの修復にあたっているベイ・カル塗装社(Bay Cal Painting)のウェブサイトによると、当初、サインは1年半程度だけ設置されるものと考えられていたが、ロサンゼルスで映画産業が勃興すると、このサインは国際的に認知されたシンボルとなり、撤去されずにそのまま残されたのだという。
1932年9月、ブロードウェイ女優ペグ・エントウィスルの遺体が、このサインの直下の谷で発見された。当時、エントウィスルはビーチウッド峡谷(Beachwood Canyon)の叔父の家に住んでいた。自殺をほのめかす走り書きが、何者かによってハリウッドの警察署に持ち込まれた財布の中から見つかった。警察は、エントウィスルが「H」の文字の上から飛び降り自殺したものと結論づけた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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