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ハリー・マクニッシュ
ハリー・マクニッシュ(、または"McNeish"、1874年9月11日 - 1930年9月24日)は、1914年から1917年にアーネスト・シャクルトンが率いた帝国南極横断探検隊で大工だった。遠征船''エンデュアランス''がウェッデル海で氷に閉ざされ破壊された後、隊員の生き残りのために必要となった行動で活躍した。小さな救命ボートである''ジェイムズ・ケアード号''を改造し、シャクルトンとマクニッシュを含む6人が乗って、南極海の約800海里 (1,500 km) を航海し、助けを呼びに行った。 この遠征後は商船海軍に戻り、最後はウェリントンのドックで働いた。健康が悪化したために引退し、ウェリントンのオヒロ慈善ホームで貧窮の内に死んだ == 初期の経歴 == ハリー・マクニッシュ、ニックネームはチッピーは、1874年にスコットランドのレンフルーシャー、ポートグラスゴーで現在は図書館になっている場所の近く、元のライオンズ・レーンで生まれた。父はジョン・マクニッシュ、母はメアリー・ジェーン(旧姓ウェイド)であり、その11人子供では3番目だった。父は靴職人だった。マクニッシュは社会主義の強い見解を持ち、連合自由スコットランド教会の会員であり、悪い言葉を嫌った。マクニッシュは3度結婚した。1895年にジェシー・スミスと結婚したが、ジェシーは1898年に死んだ。同年、エレン・ティモシーと結婚したが、エレンも1904年12月に死んだ。最後は1907年に結婚したリジー・リトルジョンだった。 マクニッシュの名前の綴りに付いてはいくらか混乱がある。''McNish''、''McNeish''〔、さらにアレクサンダー・マクリンの遠征日記では''MacNish''となっている。''McNeish''は遠征に関するシャクルトンやフランク・ワースリーの証言で使われており、墓石にもそうなっているが、''McNish''も広く使われており〔〔 (Identifying the accompanying diary entry as being from the diary of Henry "Chippy" McNish)〕正しいように見える。遠征隊の写真で署名があるものをみると"H. MacNish"と見えるが、その綴りは概して特異なものであり、遠征を通じて付けていた日記にも表れている。マクニッシュのニックネームについても問題がある。「チッピー」は伝統的に船大工に対するニックネームであり、「チッピー」も「チップス」も使われている(チップは大工仕事の木くずから来ている)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハリー・マクニッシュ」の詳細全文を読む
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