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ロイ・ハロッド(Roy Forbes Harrod、1900年2月13日 - 1978年3月8日)は、イギリスの経済学者。ジョン・メイナード・ケインズの弟子であり、ポスト・ケインジアンの一人。オックスフォード大学で長く教授を務めた。ケインズ経済学の動学化を行い、エブセイ・ドーマーと別々に発表した経済成長論のモデルは、後に「ハロッド・ドーマーモデル」として一般化された。また、国際経済学・不完全競争理論の分野でも業績がある。 ==略歴== *1900年 父ヘンリー・ドオズ・ハロッドと母フランソワ・マリー・デジレ・ハロッドの一人息子としてノーフォークに生まれる *1914年 ウェストミンスター・スクールに入学 *1918年 在学中、志願して第1次世界大戦に従軍するも、まもなく休戦 *1919年 オクスフォード大学ニュー・カレッジに入る *1922年 オクスフォード大学卒業(在学中、「ブルームズベリ・グループ」の会員達に影響を受ける) *1922年 オクスフォード大学クライスト・チャーチの講師に就任、のちケインズを訪問 *1924年 オクスフォード大学クライスト・チャーチのスチューデント(フェローに相当)になる *1927年 最初の論文「銀行政策に関するロバートソン氏の見解」発表 *1929年 経済学の講師(1937年まで) *1933年 最初の著書『国際経済学』を出版 *1935年 ケインズの『一般理論』校正に意見を述べる *1938年 ナッフィールド・カレッジのフェローとなる *1938年 ウィルヘルミナ・クレスウェルと結婚 *1940年 戦時中、総理大臣官房に勤務(1942年まで) *1943年 海軍省統計顧問となる *1945年 ケインズの後を受けて、『エコノミックス・ジャーナル』の共同編集者となる(~1961年) *1946年 オクスフォード大学の経済学講師に復帰 *1954年 ふたたび、ナッフィールド・カレッジのフェローとなる *1958年 ナッフィールド・カレッジの名誉フェローとなる *1959年 「ナイト」の称号を受ける *1962年 王立経済学会の会長に就任(~1964年) *1967年 オクスフォード大学クライスト・チャーチのスチューデントを退き、名誉スチューデントとなる *1978年 死去(78歳) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロイ・ハロッド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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