|
ハンス・ヨアヒム・パプスト・フォン・オハイン(Hans Joachim Pabst von Ohain、1911年12月14日 - 1998年3月13日)は、ドイツ・ザクセン=アンハルト州デッサウ市出身の技術者。 単体飛行可能な世界初のターボジェットエンジンを開発したことで、航空史上不滅の偉業を成し遂げたものの、手掛けたものが生涯を通じて殆ど実用化されていない点でも特筆に値する。 == 前史 == イギリス空軍の下士官フランク・ホイットル (Frank Whittle) が1929年に出願した遠心式ターボジェットエンジンに関する特許は、機密扱いされず専門誌などで広く紹介されたため、各国の空軍や技術者が注目し一部では後追いが始まった。 その中の1人が、ゲッティンゲン大学工学部で流体力学を専攻する大学院生だったオハインで、ホイットルの物より更にシンプルな単板斜流ラジアルタービンを用いる別形式を発案して1933年に特許出願し、友人のマックス・ハーン (Max Hahn) が経営する自動車整備工場の一角を借り、翌1934年から自費1,000マルクを投じてジェットエンジンの基礎実験に着手した。 博士課程終了後も継続的な開発を望んだオハインは、1936年に恩師ロベルト・ポール (Robert Wichard Pohl) の紹介で試作ジェットをエルンスト・ハインケル (Ernst Heinrich Heinkel) に見せたところ、即座にハインケル社 (Ernst Heinkel Flugzeugwerke) に採用され本格的な開発が始まった。翌1937年、同社の板金職人が手作りした初号機 Heinkel Strahltriebwerk 1 (HeS 1) の試運転を開始したが、これはホイットルの試作初号機 W.U. (Whittle Unit) の稼動とほぼ同時だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハンス・フォン・オハイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|