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ハンス・モドロウ : ウィキペディア日本語版
ハンス・モドロウ

ハンス・モドロウ(, 1928年1月27日 - )はドイツ政治家ドイツ民主共和国(東ドイツ)の最後の共産系首相で、「東ドイツのゴルバチョフ」と呼ばれた。現在は左翼党の名誉議長を務める。
== 経歴 ==

=== 東ドイツ時代 ===
ヴァイマル共和政下のヤセニッツ(現ポーランド西ポモージェ県)生まれ。機械技師の職業訓練を受けたのち、第二次世界大戦末に短期間だけ国民突撃隊におり、ソ連軍戦争捕虜として収容された。収容中ソビエト連邦の「反ファシズム学校」で教育を受ける。1952年 - 1953年にモスクワのコムソモール大学で学び、さらに1954年 - 1957年には党のカール・マルクス大学の通信教育を受け、学士号を取得。さらに1959年 - 1961年に東ベルリンのブルーノ・ロイシュナー経済大学の通信教育を受けて経済学士号を取得。1966年にはベルリン大学から経済学博士号を授与された。
1949年にソ連から帰国した後、東ドイツの支配政党である社会主義統一党 (SED) に入党。その青年団組織である自由ドイツ青年団 (FDJ) と自由ドイツ労働総同盟(FDGB)に参加し、FDJの中央評議会委員を務める。1954年に党のベルリン地区指導部委員に就任。1958年に人民議会議員に選出され、1990年の東ドイツ消滅まで務めた。1961年、ベルリン・ケペニック地区第一書記。のちベルリン地区党指導部の宣伝担当書記。1967年、党中央委員会委員に選出され、宣伝部で働く。1973年、SEDドレスデン地区第一書記。1975年に祖国功労勲章、1978年にカール・マルクス勲章受章。1972年からは、人民議会の東ドイツ・日本友好議員連盟の会長を務めていた〔ハンス・モドロウ編著『遠くて近い二つの国 東ドイツと日本』P232〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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