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ハーディー・ボーイズ(The Hardy Boyz)は、マット・ハーディーとジェフ・ハーディーのタッグチームである。実兄弟であり、WWEで数多くのシングル、タッグ王座を獲得。 == 来歴 == === WWE === 初期は「ジングス・ブラザーズ」という名のチームで、主にジョバー役だった。「ハーディー・ボーイズ」としてのデビューは1998年9月27日のSunday Night HEAT、相手は当時WWF(後のWWE)で名前が知られていたタッグチームであるカイエンタイ(MEN'Sテイオーとフナキのチーム)であった。カイエンタイに対して衝撃的な勝利を収め、ファンの注目が集まった。その後、ガングレルと「ニュー・ブルード」というチームを組んだ。ニュー・ブルード解散後エッジ、クリスチャンのタッグチームと抗争を開始。抗争を通じてWWFタッグ王座を獲得する。 1999年に、チームにディーヴァのリタが加わる。この時からチームにチーム・エクストリームを用いるようになる。エッジ&クリスチャンや、ダッドリー・ボーイズらの様に、WWEにおいてTLC戦などのハードコアマッチを得意とするチームの1つとして有名であった。2002年の2リーグ制発足後は揃ってRAWに所属したが、その後、リタがドラマの撮影中に負傷し離脱。さらにジェフがジ・アンダーテイカーとのラダー・マッチで高評価を受けた事をきっかけにシングルプレイヤーとして売り出される事となり、マットがスマックダウンに移籍した事でチームは解散した。その後、ジェフは2003年に素行不良のためにWWEを解雇、TNAに移籍。マットは「マッティテュードVer.1.0」なるキャラクターを確立し、シングルプレイヤーとして活躍した。 2006年8月にジェフがWWEに復帰、同年のサバイバー・シリーズでハーディー・ボーイズが再結成される。その後、両者はシングルプレーヤーとして再び袂を分かち別々の番組に所属するが、共同PPVなどでは一時的に再結成し試合を行っている。 2009年1月のロイヤルランブルで行われたジェフのWWE王座防衛戦に介入したマットがジェフを椅子で殴打し、王座陥落したことをきっかけに兄弟による抗争を開始。レッスルマニアのエクストリームルールによる兄弟対決をマットが、バックラッシュのアイクイット戦をジェフが制する。ジェフがエッジの世界ヘビー級王座に挑戦したジャッジメント・デイでは客席からマットがギプスでジェフを殴打し、王座獲得を阻んだ。それからマットが約2か月の欠場を経て、ジェフの世界ヘビー級王座防衛戦で特別レフェリーとして復帰。挑戦者だったCMパンクに誤爆されてジェフの勝利をアシストし、翌週パンクに襲撃されていたジェフを救出してベビーターンした。その翌週ジョン・モリソンと共にハーディーズとして試合に臨んだ。そのさらに翌週にはジェフがパンクとの敗者追放金網戦に敗れてWWEを退団するため、WWEのハーディーズとして試合に出場したのはこれが最後となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーディー・ボーイズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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