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ハーヴィー・ウィリアム・メイソン・シニア(Harvey William Mason, Sr. 1947年2月22日-)は、ニュージャージー州アトランティック・シティ出身のジャズ・フュージョンを中心に活動しているドラマー、コンポーザー。ドラマーで最も活躍しているセッション/スタジオ・ミュージシャンの一人。 息子のハーヴィー・メイソン・ジュニアはプロデューサーで、父が属するフォープレイにも携わっている。 == バイオグラフィ == ミュージシャンの父親のもとに育ち、4歳からドラムを演奏し始める。10代前半からプロの世界を目指し、高校卒業後、バークリー音楽大学とニュー・イングランド音楽院で学ぶ。バークリーの同期生にジャズ・ピアニストの佐藤允彦がいる。在学中ヤン・ハマーやジョージ・ムラーツ等と共演した。1971年にロサンジェルスに活動拠点を移し、ドナルド・バード、ジョージ・シアリング、モニカ・ルイス等と共演をする。1973年にはハービー・ハンコックのグループに参加し、『Head Hunters』(Columbia)を録音する。1975年にデイヴ・グルーシン、リー・リトナー、チャック・レイニー等と初リーダー作『Marching In The Street』(Arista)を録音。リー・リトナーの「ジェントル・ソウツ」にも参加し、L.A.フュージョンのトップ・ドラマーとなった。尚このメンバーで渡辺貞夫のヒット・アルバム『California Shower』(JVC)をサポートしている。更に『Funk In A Mason Jar』(1978)や『Groovin' You』(1979)等を発表し、コンポーザーとしての実力も高める。1980年代においてもボブ・ジェームス、デイヴ・グルーシン、アール・クルー等、多数のジャズ・フュージョン系のミュージシャンとセッションを行っている。 また、1970年代後半から80年代初頭の日本におけるフュージョンブームのときにアルファレコードと提携し、所属アーティストの大村憲司などのアルバム・プロデュースを行う。さらに、デビュー間もなかったカシオペアの全米向けアルバム『Eyes Of The Mind』をプロデュースしたばかりでなく、カシオペアが持つ先進的な音楽性のなかで唯一ウィークポイントであった旧来の楽典主義に則った演奏手法に変革をももたらし、彼らの音楽性をさらに飛躍させることに貢献。これにより、プロデューサーとしての側面も知れ渡った。カシオペアとはその後も、『Four By Four』で共演。 1990年、ボブ・ジェームスのアルバム、『Grand Piano Canyon』にて、リー・リトナー、ネーザン・イーストと揃ってセッションを行い意気投合、1991年に彼らとフォープレイを結成し、セルフ・タイトルでデビュー。(因みにギターのリー・リトナーは1997年に脱退し、ラリー・カールトンに交代、さらに2010年からチャック・ローブに交代。)更に、1996年発表のリーダー作『Ratamacue』(Atlantic)がグラミー賞にノミネートされる。『With All My Heart』(2004, Arista)では12人ものピアニストと共演をし、グラミー賞を受賞。その続編に当たる『Changing Partner』(2006)が最新作となっている。 2008年には、元、T-SQUAREの本田雅人の''アクロス・ザ・グルーヴ''のレコーディングに参戦。ボブ・ジェームスらと共演し、迫力ある''アメリカ西海岸''の情景のサウンドを創りあげた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーヴィー・メイソン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Harvey Mason 」があります。 スポンサード リンク
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