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バグダードの戦い[ばぐだーどのたたかい]
バグダードの戦い(英: )、あるいは「バグダッド包囲戦」(英:)は、1258年にチンギス・ハーンの孫にあたるフレグ率いるモンゴル帝国と当時世界で最も栄華を誇っていたと言われるイスラム帝国アッバース朝との間に起こった包囲戦である。モンゴル軍によって攻略されたバグダードは徹底的に破壊され、市内に存在していた知恵の館や数々の図書館に収蔵されていた何十万冊もの大量の学術書はモンゴル軍によって燃やされるか、または、川に捨てられた。これによってメソポタミア文明ならびにイスラム文明が築いた多くの文化遺産が地上から消失した。ムハンマドによるイスラム開教(610年)から連綿と続いていた「カリフ」の系統も殺されて途絶え、市民は皆殺しにされ、その後数世紀間にわたって当地は無人の廃墟となった。 ==背景== 現在のイラクの首都にあたるバグダードは、当時アッバース朝第37代カリフのムスタアスィムが統治するアッバース朝の首都であった。最盛期のこの町は東西交易の中心地として繁栄を極め、産業革命以前の世界最大の都市となり、100万を超える居住者と6万の精強な軍隊を誇った。しかし、1200年代なかば頃にはその力と影響力は衰えていた。 そうした時期、1253年頃より、チンギス・ハーンの孫にして時の大ハーンすなわちモンケの弟であったフレグを先鋒とするモンゴル帝国の大規模な西征が始まることとなる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バグダードの戦い」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Siege of Baghdad (1258) 」があります。
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