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バシーロ・ダボ(バシロ・ダボ、Baciro Dabo、1958年3月12日 - 2009年6月5日)〔は、ギニアビサウの政治家。 ジョアン・ヴィエイラ大統領の盟友であり、内務大臣にあたる地域行政大臣を務めた。ヴィエイラの暗殺後、2009年に実施される大統領選挙に立候補を表明していたが暗殺された。 == 経歴・概要 == 政界入り以前は、歌手、ジャーナリスト。政界入りして与党ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)の重鎮となり、ジョアン・ヴィエイラ大統領の盟友であった。〔Alberto Dabo, "Guinea-Bissau's new government named" , Reuters (''IOL''), 17 April 2009.〕2005年11月9日、公共秩序担当国務長官に任命される。2006年7月28日ママドゥ・サイコ・ジャロによって解任される。〔List of governments of Guinea-Bissau , IZF.net .〕同年11月にヴェエイラ大統領の情報顧問に就任する。〔〔"Presidente bissau-guineense nomeia novo ministro Interior" , Panapress, 28 November 2006 .〕〔List of members of the government of Guinea-Bissau , presse-francophonie.org (2007 archive page) .〕 2007年4月中旬、反ヴィエイラの三党連立政権が成立するが、ダボは同政権に内相として入閣した。ダボは反ヴィエイラを標榜する内閣にあって唯一のヴィエイラに近い存在であった。〔2008年8月9日、カルロス・コレイア内閣が成立し閣外に去る。〔 2008年総選挙で当選したダボは、2009年1月7日地域行政大臣として政府に復帰する。〔 2009年3月2日、ヴィエイラは国軍の兵士により暗殺された。前日、バチスタ・ナワイ参謀長が暗殺されたが、〔〔ナワイはヴィエイラの政敵であり、ナワイを支持する軍の一派が報復として大統領を殺害した可能性が指摘されている。〔ヴィエイラ暗殺後、実行犯は全員不起訴となり、6月28日に大統領選挙を実施することが決定した。〔大統領選挙が決定後、ダボは2009年5月、閣僚を辞すとともにギニア・カーボベルデ独立アフリカ党を離党し、無所属となった。大統領選挙にはダボを含め13人が立候補した。〔 選挙キャンペーンは6月6日に開始される予定であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バシーロ・ダボ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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