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バスク問題 : ウィキペディア日本語版
バスク・ナショナリズム

バスク・ナショナリズム(, , )またはバスク民族主義は、スペインフランスにまたがるバスク地方の政治的・文化的な独立を求める政治運動の名称。これらを求める政治運動家はバスク・ナショナリストまたはバスク民族主義者と呼ばれる。
バスク・ナショナリズムが誕生し人気を得た主たる要因には、1876年のバスク地方におけるフエロ(地域特別法)撤廃と、1870年代以降にビスカヤ県で進展した工業化にともなう社会経済の急激な変容が挙げられる〔立石ほか(2002)、p.151〕。1979年にはスペインでバスク自治州が成立し、スペイン1978年憲法によって大幅な自治権が認められている〔大泉陽一(2007)、p.43〕。
== 歴史 ==

=== 前史 ===
13世紀から16世紀にはスペイン側のバスク地方全域がカスティーリャ王国の支配下となったが、慣習法に由来するフエロ(地域特別法)が適用されて、政治的独立、国税免除、兵役免除などの計らいを受けた〔関ほか(2008)、pp.340-343〕。16世紀のバスク地方は新大陸航路における特権で多大な利益を享受し、また免税特権は造船業や製鉄業などでも大きな利点となった〔渡部(2004)、pp.76-77〕。1700年に成立したスペイン・ブルボン朝期にはカタルーニャ公国アラゴン連合王国などでフエロが剥奪されたが、スペイン継承戦争時に反抗の意思がなかったバスク地方ではフエロが維持され、特に貿易業によって経済的に繁栄した〔渡部(2004)、pp.90-92〕。
1833年にはフェルナンド7世が死去し、社会制度や経済構造の維持を唱えるカルロス5世と、自由主義を標榜するイサベル2世との間で王位継承問題が起こった。第一次カルリスタ戦争が勃発し、フエロの維持を求めるバスク地方は旧体制を支持して自由主義勢力と戦ったが、1839年のによって敗北が決定し、バスク地方のフエロは縮小された〔。その後第二次カルリスタ戦争を挟んで第三次カルリスタ戦争が起こり、1876年7月21日法でバスク地方のフエロは実質的に撤廃された〔。バスク地方はスペイン国家の中の一地域に位置付けられ、納税や兵役の義務が課せられた〔。また、工業発展を遂げた19世紀末のバスク地方には他地域から労働者が多数流入し、1900年時点ではビスカヤ県ギプスコア県アラバ県のバスク3県における人口の6割が他地域出身者となった〔立石ほか(2002)、p.153〕。バスク地方では非バスク語化が進行し、バスク人の伝統的価値観や規範が脅かされた〔立石ほか(2002)、p.154〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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