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バスケットボール女子日本代表 : ウィキペディア日本語版
バスケットボール女子日本代表[―じょしにほんだいひょう]

バスケットボール女子日本代表(―じょしにほんだいひょう)は、日本バスケットボール協会(JBA)によって編成される女子バスケットボールナショナルチームである。愛称は「隼(ハヤブサ)ジャパン」。オリンピックには過去3回、世界選手権は1964年の初出場以来1986年と2006年を除きすべて出場している。
==歴史==
日本女子バスケが世界レベルの大会に初めて参加したのは1964年世界選手権で、このときは三菱電機の単独チームとしての出場であった。次の1967年世界選手権は混合チームとして出場。5位入賞を果たし、横山アサ子が大会ベスト5に選出された。
黄金期は1970年代。日紡平野尾崎正敏監督の元、「忍者ディフェンス」と「マッハ攻撃」を武器に身長の高い相手に立ち向かい、1974年テヘランアジア大会金メダル獲得、そして1975年にコロンビアで開催された世界選手権ではアメリカなどの強豪を退け準優勝の快挙を成し遂げるとともに生井けい子がMVPと得点王の2冠を獲得。女子バスケットボールが初めて採用された翌1976年のモントリオールオリンピックにも出場した。
だが、モントリオールオリンピック後は世界の女子大型化の波が押し寄せ、尾崎の退任や世代交代の失敗も重なり、成績は下降線を辿り、オリンピックから遠ざかるとともに、世界選手権など国際大会での順位も落としていく。アジア選手権ではしばらく3位以内を維持していたが、1986年アジア選手権では4位に終わるとともに初出場以来続いたそれまでの世界選手権連続出場も6でストップ。日本女子バスケはどん底まで落ちてしまった。
1990年にシャンソン化粧品で実績を積み上げた中川文一ヘッドコーチが就任。1992年バルセロナオリンピック1994年世界選手権での中国の連続銀メダル獲得に伴うアトランタオリンピックのアジア枠拡大とアジア予選の日本開催という恩恵もあり、1995年アジア選手権で3位に入り20年ぶりのオリンピック出場を果たした。本大会では予選リーグで中国カナダを撃破、準々決勝では破れはしたもののアメリカと93-108の大接戦を演じ、7位入賞となった。1998年世界選手権ではアジア最高位かつ1979年以来の一桁順位となる9位に入り、バンコクアジア大会でも2度目の金メダルを獲得。第2の黄金時代を予感させた。
1999年にそれまでチームを引っ張ってきた萩原美樹子が引退。シドニーオリンピック予選を兼ねる同年のアジア選手権では優勝して本大会出場が期待されたものの、韓国に決勝で65-68の惜敗を喫し連続出場はならなかった。
その後、ヘッドコーチは北原憲彦に交代し、2002年世界選手権に出場したものの、13位と惨敗。2003年にジャパンエナジー内海知秀がヘッドコーチに就任する。2004年、アテネオリンピックアジア予選では内海の教え子で当時20歳の大神雄子を大抜擢した。出場権のかかった準決勝にて同じく教え子である矢野良子が34点を取る活躍で、因縁の韓国を延長戦の末に撃破し2大会ぶりのオリンピック出場権を獲得。本大会では予選リーグで1勝しか挙げられず10位に終わった。
大会後、代表の主力選手が多数引退。加えて内海ヘッドコーチが体調不良のため辞任し、その後任選びが難航を極めた。結局、これらが影響して2006年世界選手権出場権を逃した。その後内海が復帰するものの、日本開催の2006年男子世界選手権の赤字を巡る日本協会の内紛に巻き込まれ、代表活動にも影響をきたした。日本協会のJOC会員資格停止により北京オリンピック出場権を獲得しても出場できない可能性もあったが、最終的に特例措置により認められる方向となった。北京オリンピック世界最終予選ではグループゲームラウンドを突破したが、ノックアウトラウンドでチェコキューバに連敗し、出場権を逃した。予選後、内海は責任を取り代表ヘッドコーチ職を辞任した。
2009年、日本協会の体制が一新され、心機一転を図るために、代表専任の条件で中川がヘッドコーチに復帰。2010年世界選手権はアジア予選会を兼ねるアジア選手権がWリーグ開幕直前に延期となるアクシデントに見舞われたが、3位決定戦でチャイニーズタイペイを降し、中川体制の下で出場権を獲得した。本大会ではベスト8を目標に掲げて挑んだものの、直前になって帰化選手がナショナルチーム資格に抵触して出場が認められず追加招集もできなかったため、1人欠いて臨まざるを得ず、2次リーグで敗退し10位に終わったが、試合内容を見ると格上のチーム相手に接戦、延長戦を演じ、個人成績でも大神が得点王(1試合平均得点制で日本初)、吉田亜沙美もアシスト王を獲得するなど、ロンドンオリンピック及び2014年世界選手権へ向けた課題のみならず大きな収穫を得られた大会となった。
2011年8月、ロンドンオリンピックアジア予選を兼ねて開催されたアジア選手権では3位となり、世界最終予選にまわることとなった。12月になって日本協会はヘッドコーチの中川を解任し、後任のヘッドコーチにJXを勇退して再登板の内海知秀が就任。コーチにトヨタ自動車HCの丁海鎰デンソーHCの小嶋裕二三と、Wリーグ上位チームのHCを据える体制を敷いた(両コーチは最終予選終了まで帯同)。世界最終予選ではグループリーグを2位で突破して五輪決定戦に進出したがチェコに惜敗。敗者復活トーナメントで韓国に大勝し、最後の1枠を賭けたカナダ戦に挑んだが、第1Qで10点差付けられ、第2Q以降巻き返すも及ばず、2大会連続でオリンピック出場を逃した。
2013年11月にバンコクで開催されたアジア選手権では予選リーグから決勝まで全勝で22大会43年ぶり2回目の優勝を達成。渡嘉敷来夢がMVPに選出された。
2014年は世界選手権仁川アジア大会の開催期間が重なるため、後者は若手主体で臨む。世界選手権では正PGの吉田亜沙美を故障で欠いたうえ、強豪のスペイン、チェコ、ブラジルと同組となり3連敗で敗退した。
2015年は吉田が復帰。8月29日から9月5日にかけて中国・武漢で開催されたアジア選手権兼リオデジャネイロオリンピック予選では予選リーグを5戦全勝の1位で突破すると、準決勝の台湾戦は65-58で、決勝の開催地・中国戦は85-50で勝利してアジア選手権2連覇と3大会ぶりとなるオリンピック出場権獲得を達成した。MVPも渡嘉敷が2大会連続で受賞した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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