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バチカン駅 : ウィキペディア日本語版
バチカン市国の鉄道[ばちかんしこくのてつどう]

バチカン市国の鉄道(バチカンしこくのてつどう)はバチカン市国が保有する路線延長300mの世界最短の国有鉄道〔Korn, Frank J. 2000. ''A Catholic's Guide to Rome: Discovering the Soul of the Eternal City''. Paulist Press. ISBN 080913926X. p. 49.〕。ピウス11世(在位:1922年-1939年)の在位中に駅と路線が建設された。ラテラノ条約によりイタリアの鉄道路線への乗り入れが認められている。
利用の大部分は輸入商品の貨物輸送で、時に旅客輸送を行うことがあるが、それは象徴的なものか儀礼上の目的によるものである〔Walsh, Michael J. 2005. ''Roman Catholicism: The Basics''. Routledge. ISBN 0415263808. p. 95.〕〔Garwood, Duncan. 2006. ''Rome''. Lonely Planet. ISBN 1740597109. p. 141.〕。
== 歴史 ==
19世紀半ばのローマ教皇グレゴリウス16世は近代主義のみならず近代技術も嫌い、教皇領内での鉄道建設を認めなかった。彼は「chemin de fer, chemin d'enfer」(鉄の道は地獄への道)と述べたと伝えられている〔Pollard, John. 2005. ''Money and the Rise of the Modern Papacy''. ISBN 0521812046. p. 29.〕。グレゴリウス16世の後継者ピウス9世ボローニャからアンコーナへの鉄道建設を認めたが、この鉄道が完成する前の1861年イタリア統一運動(リソルジメント)軍が教皇領の北部一帯を制圧、1870年にはローマ周辺の教皇領もイタリア王国に併合され、教皇領内を鉄道が走ることはなかった〔Prusak, Bernard P. 2004. ''The Church Unfinished: Ecclesiology Through the Centuries''. Paulist Press. ISBN 0809142864. p. 271.〕。
1858年にフランス南部のルルドに聖母が現われたという「ルルドの奇跡」では、鉄道で各地からの巡礼者が押し寄せたことに見られるように、19世紀の後半には鉄道は巡礼者の重要な足となった。こうしたことはローマ教皇庁内部の反鉄道・反近代技術論を和らげることにつながった〔Alberigo, Giuseppe, and Komonchak, Joseph A. 2003. ''History of Vatican II''. Peeters Publishers. ISBN 9068317245. p. 76.〕。
1929年2月11日ラテラノ条約で、イタリア政府は「バチカン市国」の独立を確認した。同時にバチカン市国内での駅および線路の建設と、イタリアの鉄道との接続も承認された。イタリア王国公共事業省の鉄道建設監督はバチカンへの鉄道建設を承認し、1929年4月3日に着工式典が行われた〔。ローマ市内を走る線路からバチカンへ向かう鉄道高架橋はイタリア政府が建設費を負担し、バチカンのターミナル駅建設費はバチカン政府が、ラテラノ条約の財政付属文書における総額7億5000万ポンドの損失保証金から支払った〔Reese, Thomas J. 1996. ''Inside the Vatican: The Politics and Organization of the Catholic Church''. Harvard University Press. ISBN 0674932617. p. 203.〕。鉄道建設の総額は2400万ポンドとされる〔Anon. 1934. . ''Railway Magazine''. 75 (449: Nov.), p. 352 & 369.〕。
1932年3月、バチカン領内にはじめて機関車が入った。イタリアとバチカン市国間の鉄道条約は1934年9月12日に批准され、1934年10月にイタリア公共事業省は完成した鉄道路線をバチカン政府とイタリア国鉄それぞれに引き渡した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rail transport in Vatican City 」があります。



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