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バチュカ
バチュカ、あるいはバーチュカ(セルビア語: ()、ハンガリー語: ()、クロアチア語:、ブニェヴァツ語:、スロバキア語:、パンノニア・ルシン語:、ドイツ語:)は、中央ヨーロッパ・パンノニア平原の一角を占める地域の名称であり、大部分はセルビアとハンガリーの領土となっている。その領域は西のドナウ川と東のティサ川に挟まれ、両者が合流するティテル(Titel)付近が南端となる。 バチュカ地方の大半はセルビア領のヴォイヴォディナ自治州に属している。その州都・ノヴィ・サドはドナウ川の両岸にまたがっており、左岸地区(ノヴィ・サド区)はバチュカ地方、右岸地区(ペトロヴァラディン区)はスレム地方に含まれる。また、バチュカ地方の北部はハンガリー領のバーチ・キシュクン県に属している。バチュカ地方に含まれるドナウ川左岸の一部の無人の土地は、セルビアとクロアチアが領土係争中であり、旧ユーゴスラビア和平委員会調停委員会(バダンテール調停委員会)の意見ではクロアチア領とされたが、セルビアが実効支配している。 == 呼称 == 「バチュカ」は典型的なスラヴ語の地名であり、この地にあった歴史上の街・バチュ()に属する土地を意味する接尾辞()をつけたものである〔Dr Dušan J. Popović, Srbi u Vojvodini, knjiga 1, Novi Sad, 1990, page 40.〕。同様の語尾を持った地名はクロアチア(Hrvatska)、ポーランド(Polska)のように、スラヴ語圏では一般的に見られるものである。「バチュ」の語源は不明であり、中世のヴラフ人、スラヴ人およびマジャル人の文献に記録されている。バチュの語源については古代バルカン諸語〔Milica Grković, Rečnik imena Banjskog, Dečanskog i Prizrenskog vlastelinstva u XIV veku, Beograd, 1986〕、ルーマニア語、スラヴ語〔Dr. Aleksa Ivić, Istorija Srba u Vojvodini, Novi Sad, 1929〕、テュルク諸語〔A Pallas Nagy Lexikona 〕 などの説がある。 この地域を表す呼称は、バチュ城の廷吏によって使われ始めたものであり、バチュの語源は古テュルク語の尊称バヤ(baya)に由来するのではないかとする説がある〔Lajos Kiss, Földrajzi nevek etimológiai szótára (Etimology Dictionary of Geographical Names) , Akadémiai Kiadó, 1978, p. 71〕〔Bálint Ila, József Kovacsics, Veszprém megye helytörténeti lexikona (Cyclopaedia of Local History of Veszprém county), Volume 2 , Volume 2, Akadémiai Kiadó, 1988, p. 169〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バチュカ」の詳細全文を読む
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