|
バック・ショーウォルター(William Nathaniel "Buck" Showalter III、1956年5月23日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州デフニアック・スプリングス出身の元プロ野球選手。左投左打。 現在は、MLB・ボルチモア・オリオールズの監督。 == 経歴 == のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから5巡目で指名され入団。までの7年間をヤンキース傘下のマイナー球団で過ごし、現役を引退。はフォートローダーデールの三塁コーチを務め、からにかけてヤンキース傘下のマイナー球団監督として360勝207敗を記録〔。からにかけてヤンキースのコーチを務め、1991年10月29日にヤンキースの監督に就任〔。 監督就任1年目のは76勝86敗で負け越したが、翌は88勝74敗とチームは5年ぶりに勝ち越した。はシーズン途中の8月12日から232日間に及ぶ長期ストライキが行われ、ポストシーズンが行われなかった。70勝43敗、地区1位の成績でシーズンを終え、最優秀監督に選出された。には、ワイルドカードで以来となるプレーオフ進出を果たした。なおこの年には、後に「Core 4(コア・フォー)」と呼ばれるヤンキースの中心選手であるマリアノ・リベラ、アンディ・ペティット、デレク・ジーター、ホルヘ・ポサダの4人をデビューさせている。 1995年11月にからエキスパンションによりMLBに加わるアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。1年目はは65勝97敗と負け越したが、には100勝62敗でプレーオフ出場を果たす。ダイヤモンドバックスの監督最後のシーズンとなったは、85勝77敗で地区3位に終わった。 10月11日にテキサス・レンジャーズの監督に4年契約で就任。に前年を18勝上回る89勝73敗で、2度目の最優秀監督に選出された。シーズン終了後には3年契約(4年目は球団オプション)に合意し、2009年まで契約延長した。 データ重視の緻密な野球を持ち味としているが、管理主義が選手から不評だった〔小林信行 「MLB30チーム最新レポート&全選手個人成績 テキサス・レンジャーズ/TEX アリーグ最悪の監督!?」 『月刊スラッガー』2006年11月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-11、78頁。〕。現役選手を対象にしたアンケートの「メジャー最悪の監督は誰か?」という問いに2005年は450人中13%、2006年は470人中15%の選手がショーウォルターの名を挙げた。2005年はフランク・ロビンソンとともにワーストタイ、2006年はロビンソンに次いでワースト2位だった。2006年シーズン終了後、契約を満了する前に解任された。 その後はESPNの解説者を経て、7月29日にボルチモア・オリオールズの監督に就任。 は、オリオールズを17年ぶりの地区優勝に導き、3度目の最優秀監督賞を受賞した。 これまで監督を務めたヤンキース・ダイヤモンドバックス・レンジャーズの3球団はいずれも、ショーウォルターの退任後、次代の監督の下でワールドシリーズに進出している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バック・ショーウォルター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|