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バダ・ハリ(, ラテン文字表記: 、男性、1984年12月8日 - )は、オランダ出身のキックボクサー、プロボクサー。モロッコ系オランダ人〔"K1-vechter Badr Hari wil 'als gigant terugkeren'" 2010年11月25日 ''Algemeen Dagblad'' または "Kickbokser Badr Hari zit nog vast " 2010年10月28日 ''テレグラーフ'' または "Kickbokser Badr Hari nog veertien dagen vast" 2010年10月29日 ''Trouw'' 〕。ショータイム、マイクスジム所属。初代K-1世界ヘビー級王者。初代IT'S SHOWTIME世界ヘビー級王者。入場曲はAPPAの「Badr Hari Bad Boy」。K-1参戦当初はバド・ハリと表記されていた。 リング外での悪童ぶりとトラッシュトークも目立つが、試合運びは極めて正統派。アーネスト・ホーストやブランコ・シカティックも絶賛するほどの才能を持ち、15歳でプロデビューして以来、驚異的な勝率の高さを誇る。 「THE GOLDEN BOY」というニックネームの由来は、バダ自ら「俺が触った物は全て金になる。俺がリングを触ればリングが金色に、俺が女の子を触ったら女の子が金色になる。だから俺はGOLDEN BOYだ」と言ったことによって定着した。「悪魔王子」の由来は、「悪魔王子」として恐れられた変則ボクサーナジーム・ハメドから。ハメドもバダ同様アラブ系である。K-1参戦前は「スネーク(蛇)」の異名で呼ばれていた。 ピーター・アーツやブランコ・シカティックを輩出しているドージョー・チャクリキ、レミー・ボンヤスキーやアンディ・サワーを輩出しているメジロジムに所属した時期もあったが、現在はマイクスジムでメルヴィン・マヌーフ、ビヨン・ブレギーらと共に練習を積んでいる。 == 来歴 == === オランダ格闘技界MVP獲得 - K-1参戦まで === 2003年6月8日、IT'S SHOWTIME 6アムステルダム・アレナ大会でアレクセイ・イグナショフと対戦し、3ラウンドKO負け。なお、試合のわずか4日前にオファーをもらっての緊急参戦であった。 2004年3月21日、Profighters Gala in Almereにてエロル・パリスと対戦。右フックで5ラウンドKO勝ち。 5月20日、It's Showtime 7にてアジス・カトゥーと対戦。膝蹴りで腕を骨折させて2ラウンドKO勝ち。 10月10日、2 Hot 2 Handleにてグーカン・サキと対戦。2ラウンド終了後、タオル投入によるTKO勝ち。 12月12日、Rings Fightgala 〜Born Invincible〜にてゲーリー・ターナーと対戦。判定勝ち。 これらの実績が評価され、同年のK-1 WORLD GP王者レミー・ボンヤスキーを抑えてオランダ格闘技界の年間MVPを19歳にして受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バダ・ハリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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