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バニャムレンゲ()は、 コンゴ東部南キヴ州のウヴィラ()、 フィジ()地域に居住するツチ系の小集団である 〔T.Turner, ''The Congo Wars:Conflict, Myth and Reality'', Zed Books, London, 2007, ISBN 978-1-84277-689-6, pp.4, 80.〕。 (ウヴィラはタンガニーカ湖北端の西岸にある町で、 ブルンジの首都ブジュンブラに対してコンゴ・ブルンジ国境をはさんで 対称的な場所に位置する 〔たとえば、T.Turner, ''The Congo Wars''巻頭の地図を参照せよ。〕。 フィジは、ウヴィラから南へ約100km下ったタンガニーカ湖西岸に近い町で、 タンガニーカ湖西岸の半島のように突き出た地域付近にある。 湖岸からは数10キロ内陸にある 〔たとえば、G.Prunier, ''Africa's World War'':''Congo, the Rwandan Genocide, and the Making of a Continental Catastorophe'', Cambridge University Press, 2009, ISBN978-0-19-537420-9, xxviiを参照せよ。〕。 東部コンゴの詳細な地図が必要な場合は、文献の付録を参照せよ。) 平野部から離れた高地に住んでいて、居住地域周辺以外ではその存在をあまり知られておらず、 政治的にも事実上無視された存在だったが、第一次コンゴ戦争の時にルワンダの旧ザイール侵攻のカモフラージュ役として 戦争を主導したため世界的に名を知られるようになった。 ==概要== 狭義の意味のバニャムレンゲは上記の集団を指して使われているが、 1990年代以降の東部ザイール・コンゴでの紛争以降、一般的には より広くザイール・コンゴ国内在住のルワンダ人を指して使われることが多くなってきた 。 バニャムレンゲとよく似た言葉で、ムニャムレンゲ()が 使われることがあるが、前者が複数形、後者が単数形という違いがあるだけである 〔Jason K.Stearns, ''Dancing in the Glory of Monsters'': ''The Collapse of the Congo and the Great War of Africa'', Public Affairs Books, New York, 2011, ISBN 978-1-58648-929-8, p.98.〕。 バニャルワンダ(、「ルワンダ人」を意味する複数形の名詞。 北キヴ州に住むルワンダ人や1959年以降コンゴに流入してきたルワンダ人難民を指して使われている。)と共に、 バニャムレンゲをコンゴ国民として認めるかという問題をめぐって、 旧ザイール時代から国内で論争が絶えない。 バニャムレンゲは自分たちがコンゴ国民であると主張し続けているが、 一般には外国人であると見なされている 〔T.Turner, ''The Congo Wars'', p.80.〕。 北キヴ州ではバニャルワンダの割合が大きく 〔G.Prunier''Africa's World War'', p.48.〕、 政治的にも大きな存在であり、エリートやビジネスで成功した者が多いのに対して 〔G.Prunier, ''Africa's World War'', pp.49-50.〕、 南キヴ州に住むバニャムレンゲは全くの少数勢力で〔G.Prunier, ''Africa's World War'', p.52.〕、 政治的にもキンシャサ政府との 結びつきはなく、貧しく、教育を受けた者の数も少なかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バニャムレンゲ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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