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バネッサ・グスメロリ : ウィキペディア日本語版
ヴァネッサ・グスメロリ

ヴァネッサ・グスメロリ(、1978年9月19日 - )は、フランスアヌシー出身の女性フィギュアスケート選手で現在は国際スケート連盟公式審判員。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピック女子シングルフランス代表。水上スキーヤーとしても活動。
== 経歴 ==
フランスのアヌシーに生まれ、6歳ころにスケートを始めた。スケーターとして国際大会にデビューする以前、1991年にヨーロッパの水上スキー大会で2位になったという。
1994-1995年シーズン世界ジュニア選手権に出場し5位となった。翌1995-1996年シーズンの世界ジュニア選手権では6位と前年より順位を下げたが、フランス代表としてシニアの欧州選手権世界選手権にも出場。欧州選手権では8位、世界選手権では14位となった。
1996-1997年シーズンより本格的にシニアに参戦。フランス選手権スルヤ・ボナリーに次ぐ2位となり、再び欧州選手権と世界選手権代表となった。地元フランスのパリで開催された1997年欧州選手権では予選とショートプログラムで3位につけていたが、フリースケーティングで大きく順位を落とし総合6位に終わった。しかし、スイスローザンヌで行なわれた1997年世界選手権ではタラ・リピンスキーミシェル・クワンに次ぐ3位となり銅メダルを獲得した。
1997-1998年のオリンピックシーズン、フランス選手権で3位となりスルヤ・ボナリー、レティシア・ユベールとともに長野オリンピック代表となった。長野オリンピックではショートプログラムで8位と出遅れ、フリースケーティングで追い上げたものの総合6位に終わりメダル獲得はならなかった。
2002年、2度目のオリンピック出場となったソルトレイクシティオリンピックでは、ショートプログラム10位、フリースケーティング17位となり、総合16位に終わった。オリンピック後にアマチュアを引退。プロとしての活動とともに教員の資格を取得、また、2003年の水上スキー世界選手権において、銀メダルに輝いた。2005年以降、国際スケート連盟公認の技術審判員として活動している。2009年、交際相手のマチュー・ヨストとの間に女児が誕生。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Vanessa Gusmeroli 」があります。



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