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バリクパパン沖海戦[ばりくぱぱんおきかいせん]
バリクパパン沖海戦(バリクパパンおきかいせん、Battle of Balikpapan)とは太平洋戦争初期、1942年1月24日に発生した海戦。連合国側呼称、マカッサル海峡海戦。わずか30分間の夜間海上戦闘であり、日本軍輸送船団および護衛の第四水雷戦隊は突入してきた米軍駆逐艦4隻に翻弄された〔#S170121四水戦日誌(1)p.17『24日0030頃豫メ泊地ニ在リシ敵潜水艦ノ雷撃ニヨリ輸送船1隻ヲ失ヒ次デ0420頃敵駆逐艦三隻(四隻?)突如船団泊地ニ進入雷撃及砲撃ヲ以テ輸送船ヲ攻撃我ハ全力ヲ挙ゲ之ヲ捕捉撃滅セントセシモ敵ハ高速ヲ以テ巧妙ニ船団ノ間ヲ縫ヒ急速脱過シ遂ニ逸セリ 敵駆逐艦ノ砲雷撃ニヨリ輸送船三隻(辰神、須磨ノ浦ヲ含ム)ヲ失ヒ第三十七號哨戒艇大破他ニ輸送船ニ若干被弾アリ 右ノ情況ニ於テ輸送船ハ一時東方沖合ニ避退セシメ天明ト共ニ改メテ錨地ニ就カシメタリ』〕。蘭印方面における連合軍艦隊唯一の勝利であったが〔#ニミッツの太平洋海戦史34頁〕、日本軍のバリクパパン占領を防ぐことは出来なかった。 ==バリクパパン上陸== 1942年(昭和17年)1月10日、ボルネオ島タラカンを占領した日本軍は、ついでボルネオ島のバリクパパンに上陸作戦を開始することになった。1月21日夕刻、第一護衛隊(指揮官西村祥治少将/第四水雷戦隊司令官:第四水雷戦隊基幹)と輸送船団の36隻(軽巡1隻《那珂》、駆逐艦9隻《村雨、夕立、春雨、五月雨、朝雲、夏雲、峯雲、海風、江風》、掃海艇4隻、駆潜艇3隻、哨戒艇3隻、輸送船16隻《敦賀丸、りぱぷーる丸、日照丸、愛媛丸、旭山丸、日帝丸、球磨川丸、須磨ノ浦丸、はばな丸、漢口丸、帝龍丸、呉竹丸、金耶摩山丸、藤影丸、辰神丸、南阿丸》)はタラカンを出撃した〔#戦史叢書26海軍進攻作戦189頁〕〔#S170121四水戦日誌(3)p.34『輸送船隊区分』〕。バリクパパンの製油所を無傷で手に入れるためにコマンド作戦が実施されたが、これは失敗した〔#戦史叢書26海軍進攻作戦194頁〕。22日、船団はマカッサル海峡に入ったが、タラカンの第23航空戦隊から「降雨のため22日・23日飛行場使用不能、戦闘機掩護不能」の連絡が入る〔#戦史叢書26海軍進攻作戦195頁〕。第24駆逐隊(海風、江風)は別働隊として先行した〔#S170121四水戦日誌(1)p.16『22日1800海風江風ハ予定ノ如ク別働隊ヲ護衛先遣別動ス』〕。 1月23日夕刻、双発爆撃機9・軽爆撃機4機の空襲を受け海軍運送船「辰神丸」が損傷を受けた〔#戦史叢書26海軍進攻作戦198頁〕。つづいて駆逐艦「江風」が敵潜を探知して爆雷攻撃を実施、並行して一時間以上にわたる空襲を受ける〔。19時30分、「南阿丸」がオランダ軍のB-10爆撃機の攻撃により被弾炎上、積荷のガソリンに引火したため船体放棄となった〔〔#S170121四水戦日誌(1)p.16『23日主力ハ1150ヨリ夕刻迄数次ニ亘リ繰返シ敵機ノ来襲ヲ受ケ辰神丸ハ小型爆弾1発ヲ受ケシモ損害軽微 南阿丸ハ舟尾ニ爆弾ヲ受ケ火災ヲ起シ火勢熾ニシテ機械故障防火ノ手段ナク乗員ヲ駆逐艦ニ収容スルト共ニ同船ヲ警戒セシメ置キ其ノ他ノ船ハ無事2300予定通入泊ヲ了セリ』〕。乗組員は駆逐艦「峯雲」に収容された〔#S170121四水戦日誌(2)p.2『1850峯風→(将旗)1Eg|南阿丸監督官以下總員(軽傷1名)退去本艦ニ在リ艦ノ機械類總ベテ動カズ積荷ハガソリンノ為防火ノ方法ナク本艦其ノ周囲ヲ警戒自然消火ヲ待ツ|信號』〕。夜になると船団はバリクパパン泊地へ到着、第2駆逐隊(村雨、春雨、五月雨、夕立)が泊地掃海を実施した〔。 1月24日日付変更時、第一護衛隊は泊地警戒陣形に移行しつつあったが、第2駆逐隊は泊地南方数浬で掃海索を揚収していた〔。第四水雷戦隊旗艦/軽巡洋艦「那珂」は第一泊地の「敦賀丸」南西約1kmに停泊していたところ、00時35分前後に魚雷艇(実際はオランダ潜水艦K-18)を発見、雷跡を認めて艦首ぎりぎりで回避したが、この魚雷が「敦賀丸」に命中した〔#S170121四水戦日誌(1)p.28『0030那珂敵浮上潜水艦ノ雷撃ヲ受ク舟首ヲスレスレニカワリ命中セズ/0035敦賀丸ニ魚雷命中(那珂ノ舟首ヲカワシタルモノナラン)』〕〔#S170121四水戦日誌(3)p.15『1Eg指揮官|0054ch12|那珂ノ280°3kニ魚雷発射セリ魚雷艇ラシ攻撃セヨ』〕。「敦賀丸」は沈没。西村司令官は第30掃海隊(第17、第18号掃海艇)に救助を命じ、第9駆逐隊(朝雲、峯雲、夏雲)は船団東方3kmを、第31駆潜隊は船団西方を、哨戒艇は船団南方を、第11掃海隊は船団北方を、それぞれ警戒するよう命じた〔。「那珂」は泊地東方5km附近を行動して警戒をおこない、第9駆逐隊に続行を命じる〔。第2駆逐隊は、「那珂、朝雲、夏雲、峯雲」のさらに外側を哨戒していた〔。午前1時40分、第一次上陸部隊が出発する。
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