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バリャドリッド論戦 : ウィキペディア日本語版
バリャドリッド論争[ばりゃどりっどろんそう]

バリャドリッド論争(バリャドリッドろんそう)は、1550年から翌1551年にかけて、スペイン国王カルロス1世の命により行われた、インディオインディアス先住民)問題をめぐる討論もしくは論争のことである。

==発端==
1547年アリストテレス学者として高名であったセプルベダが、アリストテレスの「先天的奴隷人説」をインディオに適用しその正当性を主張した『第2のデモクラテス』の刊行を計画した。これに対し、かねてから中米植民地における征服者の暴虐を告発し、1542年カルロス1世に自らの報告書(のち1556年に刊行される『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の原型)を提出していた神父ラス・カサスは、出版差し止めを提訴した。カルロス1世によってサラマンカ学派法学者を中心に構成された委員会は刊行の差し止めを決定したが、同時に、征服戦争の非を認めない征服者の聴罪を拒否することを求めたラス・カサスの著書『聴罪規範』も回収となった。この結果、セプルベダは同書を大逆罪と異端の疑いで告発し、ラス・カサスも反論を行った。これを受けて国王カルロス1世は、インディアス枢機会議(インディアスの植民地統治を管轄するスペイン本国の最高機関)の要請を入れ、「インディアスにおいてインディオを国王に服従させる方法を協議する」ための14名からなる審議会を設置し、委員長にドミンゴ・デ・ソトを任命した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バリャドリッド論争」の詳細全文を読む



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