|
バリー・ラマー・ボンズ(Barry Lamar Bonds, 1964年7月24日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身の元野球選手(外野手)、野球指導者。左投げ左打ち。現在はMLB・マイアミ・マーリンズの打撃コーチを務めている。 MLB歴代1位記録となる通算762本塁打、シーズン73本塁打、長打率.863、出塁率.609、OPS1.422、史上唯一の500本塁打500盗塁など、そのキャリアを通じて数々の記録を残し、史上最も偉大な野球選手の一人とされる〔 as cited at 〕。 栄養補助食品会社バルコ(BALCO)の薬物醜聞(バルコ・スキャンダル)の捜査に関連して司法妨害罪と自身の薬物使用について嘘の証言をしたとして偽証罪で起訴され、2011年4月13日に司法妨害罪の有罪判決を受けたが、2015年4月にサンフランシスコ高裁が司法妨害罪の無罪判決を言い渡し、同年7月に無罪が確定した。 父のボビー・ボンズも元MLB選手で、レジー・ジャクソンは従兄弟にあたる。名付け親はウィリー・メイズ。 == 経歴 == === アマチュア時代 === カリフォルニア州リバーサイドで生まれ、サンカルロスで育った。3人兄弟の長男(次男・リック、三男・ボビーJr)。幼い頃は父が所属していたサンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地キャンドルスティック・パークに通い、試合をダグアウトから観ていたという。サンマテオのジュニーペロ・セラ高校に入学し、野球の他バスケットボール、アメリカンフットボールで優れた才能を発揮した。野球においては、入学当初は新人チームに所属し、後に1980年から1982年までの3年間選抜チームのメンバーとして活躍した。高校通算打率.404、3年時には.467を記録し、高校全米選抜チームに選ばれた。のMLBドラフトでジャイアンツから2巡目に指名を受けるが、球団側の契約金70,000ドルという提示に対し、75,000ドルを要求したため折り合いがつかず、アリゾナ州立大学へ進学。 大学では、3年間で打率.347・45本塁打・175打点を記録した〔。1984年には打率.360・30盗塁、1985年には打率.368・23本塁打・66打点を記録し、同年スポーティングニュースの全米選抜に選出された。大学オールスターには3年連続で選出された。大学2年時にはカレッジワールドシリーズにおいて7打数連続安打というNCAAの大学記録に並び、当時のチームは1996年にカレッジワールドシリーズにおける最高チームに選ばれた〔。1986年に大学を卒業し、犯罪学の学位を取得した。また、ASU On Deck Circle MVPも受賞した〔他の歴代受賞者にはダスティン・ペドロイア、ウィリー・ブルームクイスト、ポール・ロデューカ、アイク・デービスなどがいる。〕。また、大学リーグでありながら非常にマイナーリーグに近いレベルとされているアラスカ夏季大学野球リーグのアラスカ・ゴールドパナーズのメンバーとしてプレイしたこともあった。1985年のMLBドラフトでピッツバーグ・パイレーツから1巡目(全体6位)に指名を受け入団。同年はA級で7月の月間MVPに選出されるなど打率.299・13本塁打を記録。 はAAA級で打率.311・7本塁打・出塁率.435の好成績を挙げ、メジャー昇格を果たす。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バリー・ボンズ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Barry Bonds 」があります。 スポンサード リンク
|