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バリ島沖海戦 : ウィキペディア日本語版
バリ島沖海戦[ばりとうおきかいせん]

バリ島沖海戦(バリとうおきかいせん)とは、太平洋戦争大東亜戦争)中の海戦1942年2月20日夜明け前に、連合国軍艦隊が日本軍バリ島攻略船団を攻撃したが撃退された〔#S170216蘭印第2護衛隊詳報(1)p.26『(1)「バリー」島攻略戦 0050乃至0500 8dg「バリー」島サヌル沖及「ロンボック」海峡ニ於テ敵巡二隻驅逐艦五隻ト交戦敵驅逐艦四隻撃沈一隻大破「ジャバ」「トロンプ」小破 満潮損傷ヲ受ク日出後敵機ノ猛爆ヲ受ケ大潮舟首浸水』〕。アメリカ軍呼称はバドゥン海峡海戦(Battle of Badung Strait)〔#ニミッツの太平洋海戦史35頁〕。
== 経緯 ==
1942年(昭和17年)1月下旬、日本軍はジャワ島攻略のための飛行場確保を目的として、当初は予定になかったバリ島の攻略を決めた〔#蘭印東インド攻略作戦pp.1-2『八 「チモール」「バリ」及「バレンバン」の攻略』〕。第十一航空艦隊ボルネオ島バンジャルマシンよりもバリ島に飛行場を建設した方がのちのちの利点が大きいと熱心に主張し、これに蘭印部隊司令部や南方軍総司令部も同意、バリ島海路攻略とバンジャルマシン陸路攻略が決定したのである〔#戦史叢書26海軍進攻作戦318-321頁『航空部隊、バリ島攻略を強調』〕。マニラでの陸軍第十六軍司令官今村均中将と第三艦隊司令長官高橋伊望中将の協定は1月23日に成立したが、ジャワ島攻略作戦の発動遅延により、バリ島攻略作戦の日程も延期された〔。
攻略に当たる海軍部隊は、第一根拠地隊司令官久保九次少将ひきいる支援隊(軽巡洋艦長良、第21駆逐隊《若葉子日初霜》)、攻略隊(第8駆逐隊《大潮、朝潮、満潮、荒潮》、第五設営班、陸軍輸送船2隻《相模丸、笹子丸》)、補給部隊(マカッサル海峡部隊《筑紫蒼鷹、第2駆潜隊、第1号駆潜艇》、ケンダリー部隊《白山丸、君島丸、第52駆潜隊、第1駆潜隊、いくしま丸》)、さらに第8駆逐隊による第一次急襲作戦成功後は、軽巡「長良」を旗艦とする第二次輸送作戦が実施されるという兵力配置となった〔#戦史叢書26海軍進攻作戦321-322頁『第一根拠地隊』〕。当時の第8駆逐隊各艦は、駆逐隊司令阿部俊雄大佐(海軍兵学校46期)、「大潮」駆逐艦長吉川潔中佐(兵50期)、「朝潮」駆逐艦長吉井五郎中佐(兵50期)、「満潮」駆逐艦長小倉正味中佐(兵51期)、「荒潮」駆逐艦長久保木英雄中佐(兵51期)が指揮していた〔#戦史叢書26海軍進攻作戦334頁〕。
バリ島攻略に投入される陸軍部隊は、第48師団の一部を抽出した金村亦兵衛少佐指揮の支隊(台湾歩兵第一聯隊第三大隊、山砲1個小隊、独立工兵1個小隊:歩兵1個大隊基幹)と決定し、輸送船2隻(相模丸、笹子丸)に乗船することになった〔#戦史叢書26海軍進攻作戦323頁『陸軍部隊』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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