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『バルナバによる福音書』(バルナバによるふくいんしょ)はイエス・キリストの生涯を描いた書物。イエスの弟子バルナバにより著されたと主張されている(通常と違い本文献中ではバルナバは十二使徒のひとりとされている)。二つの写本が存在を確認されており、いずれも16世紀後半に遡る。その二写本は一方がイタリア語、他方がスペイン語で書かれているが、スペイン語写本の方は現在では失われ、18世紀に転写されたものが残るのみである。バルナバによる福音書は正典の四福音書を合わせたのと同じぐらいの分量があり、イエスの宣教の記述にその分量が費やされているが、その記述は正典の福音書と多くの点で一致する。いくつかの重要な点において、本文献の記述はムスリムによるキリスト教の起源に関する解釈に従っており、キリスト教による新約聖書に関する教説と相反する。 バルナバによる福音書はかなり後の時代の文献であり偽典であるとキリスト教徒と(アッバース・エル=アッカドのような)多少のムスリムの双方を含む大多数の研究者が考えている; しかしながら、初期の(おそらくグノーシス主義者、エビオン派、あるいはタティアノス派による)外典の残遺がいくつか含まれている可能性があり、イスラームの教義に合うように再編集されたのだろうと主張する研究者もいる。現存する版は使徒時代の弾圧された原本を伝えるものだとみなすムスリムもいる。また、本文献をイスラームによるイエス解釈を支持するものとして引用するイスラーム系の組織もある。 バルナバによる福音書を現存する『バルナバの手紙』や『バルナバ言行録』と混同しないように注意。 ==原文の歴史== バルナバによる福音書に言及する最初期の文書は知られている二つの写本のうちの一方と調和することが広く認められており、マドリードで作成されたモリスコ写本BNM MS 9653に含まれており、1634年頃にチュニジアでイブラヒム・アル・タイビリが書いたものであるという。彼は聖書がいかにムハンマドの出現を予告しているかを述べる際に「光を見出すことのできるバルナバによる福音書」()と言及している。この福音書に関する文書が初めて公刊されたのは1717年であり、スペイン語写本に関する簡潔な言及が Adriaan Relandの『モハメッド教について』に見出される; 1718年にはイタリア語写本に関するより詳細な説明がアイルランドの理神論者ジョン・トーランドによってなされた。1734年にはジョージ・セールの『コーランを準備する言明』において両写本が言及された。: セールによるクルアーンの翻訳が英語における定訳となっている; そしてその宣伝を通じて、そして『コーランを準備する言明』を通じて、学者たちの間でバルナバによる福音書が注目されるようになった; セールが述べているアラビア語原本が見つけようという拙速な試みが多く行われたが無駄に終わったしかし、『コーランを準備する言明』においてセールは全面的に二次文献に依拠してバルナバによる福音書について書いており、(例えば、セールの説明に反して、パラクレートスあるいはペリクリュトスといった語はどちらの写本にも見出されない; ただしペリクリュトスはイタリア語写本に対するアラビア語での傍注において音写されている)。『コーランを準備する言明』による準備に続いて、よく知られたスペイン語写本がセールの所有するところとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バルナバによる福音書」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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