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バルバラ・ダウストリア : ウィキペディア日本語版 | バルバラ・ダウストリア
バルバラ・ダウストリア(イタリア語:Barbara d'Austria、ドイツ語:''Barbara von Österreich'', 1539年4月30日 - 1572年9月19日)は、フェラーラ公アルフォンソ2世・デステの二度目の妃。 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナ・ヤギエロの第8子として、ウィーンで生まれた。姉マグダレーネ、マルガレーテ、ヘレーネ、妹ジョヴァンナとともに、1547年以降インスブルックの宮殿で育てられ、信仰篤い人物となった。 バルバラの容貌は良いとはいえなかったが、縁談が途切れることはなかった。1565年、アルフォンソ2世と結婚。夫婦仲は良かったが子供はできなかった。トルクァート・タッソは、フェラーラ宮廷でバルバラに数作のソネットを捧げている。1570年と1571年の地震後、親を失った少女たちのために私費を投じて支援を行った。バルバラは定期的にイエズス会と接触し、またプロテスタントに同情的だった義母レナータとも非常に密接であった。 1566年以降病がちとなり、1572年に肺結核のため死去した。夫は1579年、バルバラの姪マルゲリータ・ゴンザーガを3番目の妻に迎えた。
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