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バルバロッサ作戦 : ウィキペディア日本語版
バルバロッサ作戦[ばるばろっささくせん]

バルバロッサ作戦(バルバロッサさくせん、 )は、第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始されたドイツ国によるソビエト連邦奇襲攻撃作戦の秘匿名称である。今日では独ソ戦序盤の戦闘の総称とされる場合もある。枢軸国以外にも、親枢軸のスペインフランス国(ヴィシー政権)が派兵している。
作戦名は神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ1世のあだ名「Barbarossa」(「赤ひげ」、イタリア語のbarba「あごひげ」+rossa「赤い」 )に由来する。フリードリヒ1世は伝説的な人物で、民間伝承によると現在も眠り続けており、ドイツに危機が訪れた時に再び目覚めて帝国に繁栄と平和をもたらすとされた。それにあやかっての命名、また第3回十字軍総司令官として戦果を残し、ボヘミア王国ハンガリー王国神聖ローマ帝国の影響を拡大した実績から、対ソ戦にふさわしいと判断されたと考えられている。
ドイツ陸軍はポーランド侵攻の「白作戦」、フランス侵攻の「黄作戦」「赤作戦」など、攻勢作戦名に色名を付ける伝統があり、それの発展形とも考えられる。バルバロッサ作戦が頓挫した影響か、翌年の攻勢作戦はまた「青作戦」と純粋な色名に戻された。
== 背景 ==

=== ドイツ ===
アドルフ・ヒトラーは自著『我が闘争』の中で、ドイツ人がより広い生存圏を必要とし、それを東方に求めることを明らかにしていた。ヒトラーはスラブ人を劣等人種と見なしており、スラブ人が住む東ヨーロッパの広大な土地から彼らを放逐して、そこにドイツ人の植民地を設けることを企図していた。1939年、ドイツはポーランド侵攻の直前にソ連と独ソ不可侵条約を締結。互いを敵視していたはずの独ソの条約締結は世界を驚かせた。しかし、ヒトラーにとってこの条約は一時的な保険に過ぎなかった。ヒトラーはフランス侵攻を成功させると、軍に対してソ連への攻撃を命令した。
1940年、ドイツ軍は西方でフランスを瓦解させたが、バトル・オブ・ブリテンには敗北し、イギリスを屈服させることはできなかった。ドイツ軍首脳部はイギリスを背面にしてソ連を攻撃する二正面作戦に懸念を表明したが、ヒトラーは側近の助言をしりぞけ、「土台の腐った納屋は入り口を一蹴りするだけで倒壊する」と豪語した。ヒトラーはポーランドとフランスでの成功を経験し、赤軍との戦いにも容易に勝利できると確信していた。また、赤軍に対する迅速な勝利がイギリスとの和平を促進すると期待していた。
ドイツ軍はソ連国境に3個軍集団300万の兵力を集結させた。ヒトラーとドイツ軍指導部は、攻撃・占拠目標としてソ連の特定の地方および大都市を割り当てた。北方軍集団は、バルト海沿岸に沿い旧バルト三国を経由して北ロシアへ侵入し、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の占領もしくは破壊を目標とした。中央軍集団は、現在のベラルーシを通りロシアの中西部を進軍し、モスクワへの直接攻撃が目標となった。南方軍集団はソ連最大の穀倉地帯であり、一大工業地帯でもある人口密度の高いウクライナ地域を攻撃、キエフを攻略し、南ロシアの草原を抜け東方のヴォルガ川まで進軍するように計画を整えた。
ドイツ軍の計画は最終的にはアルハンゲリスクからアストラハンを繋ぐ線まで進出するものであり、そのため不十分な量ながらも冬期装備も用意されていた。しかし本作戦中では兵站の混乱から前線部隊に冬期装備がほとんど届かなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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