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バレーボール全日本女子ジュニア(バレーボールぜんにほんじょしジュニア)は、19歳以下(U-19)または20歳以下(U-20)の国際大会で編成される日本の世代別ナショナルチームである。主な出場大会として、2年ごとに開催されるアジアジュニア選手権(U-19)及び世界ジュニア選手権(U-20)〔アジアジュニア選手権が予選をかねており、出場できない年もある。〕がある。 本項ではアンダーエイジであるバレーボール全日本女子ユース(U-17またはU-18)及びU-23も取り扱う。全日本ユースの主な出場大会として、2年ごとに開催されるアジアユース選手権(U-17)と世界ユース選手権(U-18)〔アジアユース選手権が予選をかねており、出場できない年もある。〕があり、全日本U-23の出場大会としては2年ごとに開催される世界U-23バレーボール選手権〔アジアU-23選手権が予選をかねており、出場できない年もある。〕及び2015年から開催されるアジアU-23バレーボール選手権がある。 FIVB世界ランキングはジュニアが第3位(2015年9月現在)、ユースが第8位である(2015年8月現在)。 == 概要 == 国際バレーボール連盟は「1977年に第1回世界ジュニア選手権(U-20)を開催する」と1973年に発表し、1976年にアジア会議において日本が推薦出場できることが決定した〔『月刊バレーボール』1977年6月号 76ページ〕。これを受けて日本バレーボール協会は代表選考合宿を行い、実業団チーム若手や高校生らが参加したが、当時の日本では高校女子のネットの高さが一般成人女子よりも低くハンデキャップとなり〔『月刊バレーボール』1977年1月号 63ページ〕、結局実業団若手の須藤佳代子、江上由美らが全日本ジュニアに選出された。1977年10月にメキシコで開催された第1回世界ジュニア選手権では、銅メダルを獲得した〔『月刊バレーボール』1977年11月号 46ページ〕。日本以外の出場国はこの大会を1980年のモスクワオリンピックの前哨戦と位置づけて強化を図ってきており、日本バレーボール協会50年史では「日本は準備不足であった」と異例の自己批判を行っている〔『日本バレーボール協会五十年史 -バレーボールの普及と発展の歩み-』 292ページ〕。 1981年の第2回からはその開催前年にアジアジュニア選手権が開催されることになり、優勝チームが世界ジュニア出場権を得られるシステムとなった。またアジアジュニアで出場権を得られなかった場合でも、アジア予選を突破すれば世界ジュニア本大会の出場権が得られた。2012年現在ではアジア予選は廃止され、アジアジュニア上位4チームが世界ジュニア出場権を得られるシステムとなっている。 実戦による強化については、1976年9月に開催されたNHK杯への参加〔『Volleyball』日本文化出版社刊 1975年12月号 174-175ページ〕、環太平洋ジュニア選手権大会(U-20)への参加などがあった〔『バレーボールマガジン』1984年10月号 76ページ〕。環太平洋ジュニア選手権大会は1984年から環太平洋ユーストーナメント大会(U-18)に衣替えし、全日本ユースともいうべき選抜メンバーが出場している〔。 1989年からは世界ユース選手権(U-17)(発表当時は第1回世界ユースカップ〔『月刊バレーボール』1989年10月号 5ページ〕)が開催されることになり、アジア予選が開催された。1997年のアジアユース選手権新設に伴い、出場権はアジアユース選手権上位チームに変更されている〔『月刊バレーボール』1997年6月号 128-129ページ〕。2003年の世界ユース選手権まではU-17であったが、年齢制限が変更され2005年の世界ユース選手権からU-18となっている。 日本バレーボール協会としては、ジュニア・ユース選手権は育成の場であり〔、「将来一人でも多く全日本シニア代表に入る人材が育って欲しい」との願いがあった〔『月刊バレーボール』1981年8月号 88ページ〕〔『月刊バレーボール』1991年10月号 53ページ〕。代表候補に選出された選手が故障や、学業優先、日本国内高校生メジャー大会優先などで、参加辞退することがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バレーボール全日本女子ジュニア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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