|
バローゾ委員会(バローゾいいんかい)は、ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾを委員長とする欧州委員会(2004年 - 2014年)。バローゾを含め、委員には欧州連合の加盟各国から1名ずつが出されている。2010年2月10日には第2次バローゾ委員会が発足した。 2004年11月22日に発足した第1次バローゾ委員会は2009年10月31日を任期満了日としていた。ところが2009年9月16日に欧州議会はバローゾの委員長再任を承認したものの、欧州連合の既存の基本条約を修正するリスボン条約の発効が間に合わなかったため、第1次バローゾ委員会が引き続き、第2次委員会の発足まで暫定委員会として日常的な業務のみを行なっていた。第2次バローゾ委員会は2010年2月9日に欧州議会の承認を受け、本来の任期開始日よりおよそ3か月遅れの2010年2月10日に発足することとなった。第2次バローゾ委員会は2014年10月31日までの任期を務めることになっている。 バローゾは当初「最小公分母」という前評判を受けていたが、提出した委員会人事案によりバローゾは一定の評価を得た。ただしこの人事案は欧州議会におって否決され、再考を余儀なくされた。2007年にはルーマニアとブルガリアが欧州連合に加盟したことを受けて、2名の委員を加えた。 バローゾの委員会運営は従来の委員長と比べると、委員長の主体性の強さが目立つものとなっている。第1次委員会の任期中にバローゾ委員会では REACHやボルケシュタイン指令が成立している。またバローゾ体制では委員もまた政治性が強まり、欧州委員会の職員も経済自由主義の色彩が濃くなった。 == 沿革 == バローゾは欧州理事会において欧州委員会委員長に指名され、2004年7月に欧州議会から委員長任命の承認を受けた。ところがバローゾが提出した委員人事案は、司法・自由・安全担当委員候補としていたロッコ・ブッティグリオーネの保守的な発言が同担当として適切ではないとして欧州議会から反対された。この反対で欧州連合は機能低下の危機に追い込まれたが、バローゾは欧州議会に譲歩してブッティグリオーネをはずした委員人事案を提出し、これが賛成されたことにより新委員会は2004年11月22日に発足した〔。2007年にはブルガリアとルーマニアが欧州連合に加盟したことによって、バローゾ委員会に新たに2人の委員が加わった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バローゾ委員会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|