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バンピーロ(''Vampiro'')のリングネームで知られるイアン・ホジュキンソン(''Ian Richard Hodgkinson''、1967年5月3日 - )は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州トロント出身。 メキシコやアメリカのプロレス団体で活動している。 メキシコでは、最も活躍した外国人選手の一人として知られている。甘いルックスでメキシコ人女性を虜にしていた。 == 来歴 == 元々はロックミュージシャンであったが、プロレスの夢を追いプエルトリコでトレーニングを始める。トレーナーはアブドーラ・ザ・ブッチャー。 1991年2月、メキシコを観光旅行で訪れた際に、CMLL(当時のEMLL)にスカウトされる。自身が吸血鬼が好きだったため、そのまま吸血鬼キャラとしてバンピーロ・カナディエンセのリングネームでデビュー。メキシコには珍しい190cmを越える大型選手で、その甘いルックスから主に女性の人気を得る。元々はルードとしてデビューしたが、あまりの人気ですぐにリンピオに転向した。1992年のメキシコプロレスでMVPとなった。その後メキシコの数々の団体を転々とし、ライバル団体であるAAAにも移籍している。 1998年8月、WCWへ移籍。ここでもルックスを重視されすぐにプッシュされるが、実力が伴っておらず人気が出なかった。1999年には、ミュージシャンのICPと組んで「チーム・デッドプール」を結成。転機となったのは2000年、スティングとの抗争が人気を博し、一躍トップレスラーの仲間入りを果たした。同年夏頃にはグレート・ムタを迎え入れてユニット名を「ダーク・カーニバル」に変更し、WCWタッグ王座を獲得した。 WCW崩壊後の2001年、WWFとは契約せず、世界を舞台に活動。全日本プロレスに初参戦し、ジョージ・ハインズと組み世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。2002年7月に古巣であるCMLLに復帰。また、TNAやインディー団体などでも活動し、2006年、2007年に再度全日本プロレスに参戦している。2007年4月30日には、WCW時代の相棒グレート・ムタと組み世界タッグ王座に挑戦したが敗退した。 2008年4月、AAAへ移籍。トップルードとして君臨し、メシアスとの長期抗争を展開。9月のPPVであるベラノ・デ・エスカンダロのメインイベントにてメシアスとのケージマッチで先に脱出し、勝利。抗争の終止符を打った。2010年4月よりコナン率いるユニット、レヒオンエクストランヘラに加入した。10月にはNOSAWA論外15周年記念大会に参戦するため来日している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バンピーロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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