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本項ではパイオニア探査機の金属板 (Pioneer plaque) について記述する。この金属板は1972年と1973年に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号・11号に取り付けられた銘板で、人類からのメッセージを絵で記したものである。探査機によるMETI(Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence)=Active SETI(能動的な地球外知的生命体探査)の最初のケースである。 金属板には人間の男女の姿とともに、探査機の故郷である地球に関する情報を示す記号がいくつか描かれている。この金属板は星間空間を漂う一種のボトルメールとして作られた。この金属板を搭載した探査機が将来、ある恒星の周囲30天文単位以内を通過するまでに要する平均的時間は我々の銀河系の現在の年齢よりも長いと見積もられている。 この金属板は探査機のアンテナの支柱上の、宇宙塵による侵食から守られる位置に取り付けられている。NASA ではこの金属板(と探査機自身)が地球や太陽よりも長く生き残ることを期待している。 1977年に打ち上げられたボイジャー探査機には、このパイオニアの金属板よりももっと複雑で詳細なメッセージを記録したレコード盤が搭載されている。 == 歴史 == パイオニア探査機に人類のメッセージを積み込むというアイデアは元々、科学評論家・ジャーナリストのエリック・バージェスによって、マリナー9号ミッションが行なわれていた当時のパサデナのジェット推進研究所を訪れた際に最初に言及された。彼は宇宙科学ライターのリチャード・C・ホーグランドとともにカール・セーガンに面会した。セーガンは以前クリミアで行なわれた会議で、地球外知的生命との交信について講演していた。 セーガンはパイオニア探査機でメッセージを送るという彼らの考えに夢中になった。NASAはこの計画を承認し、メッセージを準備する期間としてセーガンに3週間を与えた。セーガンはフランク・ドレイクとともに金属板をデザインし、そこに描かれる図版は当時のセーガンの妻リンダ・サルツマン・セーガンが用意した(後年、ホーグランドがこの金属板の実際のデザインの考案者として自分の名前をクレジットすることを求めているが、この主張はセーガンとドレイクの両方から強く拒否されている。彼らはホーグランドの寄与は探査機に何かメッセージを載せるというアイデアの部分だけであるとしている)。 最初の金属板は1972年3月2日にパイオニア10号とともに打ち上げられ、2枚目の金属板は1973年4月5日にパイオニア11号で打ち上げられた。この2機の探査機は1980年代に太陽系を脱出している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パイオニア探査機の金属板」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pioneer plaque 」があります。 スポンサード リンク
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