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パダン
パダン () は、インドネシア、西スマトラ州の州都であり最大の都市である。 == 歴史 == 16世紀から交易の中心地だった。16世紀から17世紀の間にインド、ポルトガル、イギリス、オランダの間でコショウの栽培と貿易が行なわれた。1663年にオランダ人により占領され、1680年に交易所が建てられた。第4次英蘭戦争中の1781年から1784年までと、ナポレオン戦争中の1795年から1819年までの2度にわたり、イギリスにより占領された。1780年代に最も重要な交易品は金鉱から採掘された金であった。金鉱の採掘量が減少すると、コーヒー、塩、織物などが主産物となっていった。 1797年、海岸で起きたマグニチュード 8.5~8.7 の地震による、高さ 5~10 メートルとみられる津波によってパダンは徹底的に押し流され、浸水した。地震は多大な損害をもたらし、2人の死者を出した。一方で津波は Air Manis 村の家々を倒壊させ何人もの死者をもたらした。アラウ川に係留された船は、上流へおよそ1キロメートル流された 200 トンの帆船を含めて、陸地に押し流された。1833年、ブンクル州沖に起こったマグニチュード 8.6~8.9 と見積もられる地震による、高さ 3~4 メートルとみられる津波に再び襲われた。パダンは地震により多大な損害がもたらされ、アラウ川の中で係留していたボートは津波のためにいかりを壊され、あちこちに流された。シンガポール地球観測研究所(EOS)のケリー・シエによると、近い将来パダン沖にMw8.8の海溝型巨大地震に見舞われると警告している。 独立時には、人口約5万人の都市であった。コーヒーは未だに重要な産物であり、また内陸部の農場で作られるコプラも主な産物であった。人口の増加理由は、一部の都市領域の成長の結果でもあったが、主には多くの発展途上国で見られる大都市への人口流入の結果であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パダン」の詳細全文を読む
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