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パット・ライリー
パトリック・ジェームズ・ライリー(Patrick James Riley, 1945年3月20日 - )、通称パット・ライリー (Pat Riley) はアメリカ合衆国のバスケットボール監督で球団運営責任者。NBAのロサンゼルス・レイカーズなどで選手としてプレイしたのち同チームの監督に就任、1980年代を代表するチームに育て上げた。その後ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートでも監督を務め、監督としての生涯通算勝利数はリーグ史上屈指という名将である。異なる三つのチームで最優秀監督賞を受賞した唯一の人物でもある。選手に厳しい練習を課すこともよく知られている。ニューヨーク州ローム出身。現在マイアミ・ヒートの球団社長を務める。 == 生い立ちと選手時代 == 父は野球選手(フィラデルフィア・フィリーズ)、兄はのちのフットボール選手(ニューヨーク・タイタンズなど)というスポーツ一家に育った。パット・ライリー自身はバスケットボールやフットボールに親しみ、リントン高校に通っていた時代には両方のスポーツで活躍した。高校のバスケットボールチームはニューヨーク市のパワーメモリアル高校と対戦し、勝ったことがあった。この学校のチームには、のちにカリーム・アブドゥル=ジャバーと改名するルー・アルシンダーがいた。 フットボールの方面でも勧誘を受けたが、ライリーはバスケットボールの選手としてケンタッキー大学に進学した。ライリーはチームのエースとして活躍し、ケンタッキー大はNCAAトーナメントの決勝に進んだがそこで敗れている。 大学を卒業すると、1967年のNBAドラフト全体7位でサンディエゴ・ロケッツに指名された。また、1967年のNFLドラフトでもダラス・カウボーイズから12巡で指名された〔 〕。3年間ロケッツでプレイしたあと、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍。エルジン・ベイラー、ジェリー・ウェスト、ウィルト・チェンバレンらのチームメイトとして1972年には優勝を経験した。現役最後のシーズン途中でフェニックス・サンズにトレードされ、そこで9年間の選手生活を終えた。出場試合数は528試合、平均出場時間は15分ほどだった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パット・ライリー」の詳細全文を読む
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