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パドレイグ・ハリントン(Pádraig Harrington, 1971年8月31日 - )は、アイルランド・ダブリン出身のプロゴルファー。2007年の全英オープンゴルフ優勝者になり、2008年に全英オープンゴルフと全米プロゴルフ選手権でメジャー大会2連勝を達成した。これまでに欧州PGAツアーで通算13勝、アメリカPGAツアーで6勝を挙げ、2006年11月に日本の「ダンロップ・フェニックス選手権」で国際試合初優勝がある。(注:全英オープンの優勝は、欧州ツアーと米国ツアーの両方でカウントされる。)世界ランキング自己最高位は3位。身長185cm、体重83kg。 == プロフィール == 4歳から父親の手ほどきでゴルフを始め、1995年にプロ入り。1996年5月に「プジョー・スペイン・オープン」でツアー初優勝。同年からワールドカップでアイルランド代表選手になり、ポール・マギンリーとコンビを組んで連続出場を続け、1997年にこの大会でアイルランドを優勝に導いた。1999年からアメリカ代表チームとヨーロッパ選抜チームによる団体戦「ライダーカップ」のヨーロッパ代表選手に選ばれ、以後2002年(米国同時多発テロの影響による1年開催延期)、2004年、2006年と4回連続で出場を果たす。1999年以来、ハリントンはヨーロッパ・ゴルフツアーの賞金ランキングでコンスタントに10位以内に入り、2000年・2003年・2004年に年間2勝ずつを記録してきた。2005年3月にアメリカPGAツアーの「ホンダ・クラシック」でアメリカツアー初優勝を果たし、3ヶ月後の「バークレイズ・クラシック」でも優勝して、アメリカで年間2勝を挙げる。2006年10月、ハリントンはスコットランドのセント・アンドルーズにある「R&Aゴルフクラブ」で行われた高額賞金大会の「アルフレッド・ダンヒル・リンクス選手権」で優勝し、ようやく欧州ツアーで初の賞金王に輝いた。 欧州賞金王を決めた後、ハリントンは「ダンロップ・フェニックス選手権」で来日した。最終ラウンドを終えてタイガー・ウッズと 9 アンダーパー(271ストローク)で並び、プレーオフ2ホール目でハリントンが勝ち、ウッズの大会3連覇を阻止した。(それまでウッズは、プロ入り後のプレーオフは1998年3月の「ニッサン・オープン」の1度しか負けたことがなかった。) 2007年の全英オープン(カーヌスティ・ゴルフリンクス、パー71)では、4日間通算 7 アンダーパー(277ストローク)で並んだセルヒオ・ガルシアを4ホールのプレーオフの末破り、この大会でメジャー大会初優勝を果たした。翌2008年の全英オープン(ロイヤルバークデール・ゴルフクラブ、パー70)でも、4日間通算 3 オーバーパー(+3, 74+68+72+69=283ストローク)で2位のイアン・ポールターに4打差をつけて優勝し、全英2連覇を達成した。続く全米プロゴルフ選手権で(アメリカ・ミシガン州オークランドヒルズ・カントリークラブ開催、パー70)ハリントンは4日間通算 3 アンダーパー(-3, 71+74+66+66=277ストローク)で回り、2位のガルシアとベン・カーティスに2打差をつけて初優勝した。ヨーロッパのゴルファーとしては、全英オープン2連覇は102年ぶり、全米プロゴルフ選手権優勝は1930年のトミー・アーマー以来78年ぶりの偉業となった。全米プロゴルフ選手権優勝後、ハリントンは世界ランキングを自己最高の3位に上げた。 ハリントンの他のメジャー大会での主な成績は、マスターズで2002年の5位、全米オープンで2000年・2006年の5位などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パドレイグ・ハリントン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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