|
パルブライトは日本の競走馬。おもな勝ち鞍は新潟記念・函館記念・大井記念・東京3歳優駿牝馬。JRA時代の主戦騎手は木幡初広。わずか一代しか産駒を残せなかったペイザバトラーの仔。年齢は旧表記とする。 == 戦績 == 1994年大井競馬場の新馬戦デビュー。3戦目から6戦目までを連続2着するなど勝てないでいたが、初勝利を重賞の東京3歳優駿牝馬であげる。 4歳時にはニューイヤーカップは2着となり、ユングフラウ賞では8着と大敗。それでも桜花賞では1番人気となるが、3着にとどまる。ここで、中央競馬に挑戦を決意。サンスポ賞4歳牝馬特別に出走するも6着。さらに牝馬ながら果敢に東京ダービーに挑むも4着。その後、5戦するが勝てず。 転機は5歳になってから。初戦は4着に敗れたが、2戦目に勝ってから3連勝。そして挑んだ大井記念でカネショウゴールドをハナ差退け重賞2勝目を上げる。帝王賞は8着、東京盃は出走取消。同年10月にJRAに転入となる。 転入後5戦目の巴賞を最低人気ながら制し中央初勝利を記録。北海道遠征で1・3・6着と好成績をあげた同馬は、札幌記念・新潟記念の両睨みで調整が進められ、エアグルーヴとの対戦となる札幌記念を回避しGIII新潟記念への出走に踏み切る。これが功を奏し新潟記念を優勝。同馬と木幡騎手さらに杉浦宏昭調教師共々JRA重賞初勝利と記録ずくめの1勝となった。 秋はエリザベス女王杯を視野に入れ京都大賞典に出走。なお木幡騎手はデビュー14年目にして初の京都での騎乗となった。しかし結果は前哨戦・本番ともに着外に終わり結果を出すには至らなかった。 1998年に入ってからも勝ち運から見放されていたが、「ここでダメなら引退も」との構えで臨んだ函館記念を制し中央競馬での2つめの重賞を獲得。これにより引退は一旦白紙となり現役続行となり、勝ち鞍を上げることは無く同年12月に引退となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パルブライト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|