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パルマス島事件[ぱるますとうじけん]
パルマス島事件(パルマスとうじけん、英語:Island of Palmas Case)とは、フィリピンミンダナオ島のサン・オーガスチン岬と、オランダ領東インド(当時)の北にあるナヌーサ群島の中間にある孤島パルマス島(別名)の領有権を巡って、アメリカ合衆国とオランダが1906年から争った領土紛争である〔『国際法辞典』、284頁。〕。最終的には、1928年に常設仲裁裁判所でオランダの領土であるとの判決が下された〔『判例国際法』、126-130頁。〕。 == 経緯 ==
1906年1月21日、当時フィリピンのモロ地方総督であったアメリカのウッド将軍がパルマス島を訪れたことが、事の発端であった〔『国際法判例百選』、64-65頁。〕。彼はこの島がアメリカ領であると信じていたが、彼を海上で迎えた船と島の海岸にオランダ国旗が掲げられていることに気が付き、このことをアメリカ陸軍長官に報告した〔。これ以前には、アメリカ、オランダ、スペインといった関係国の間で、パルマス島の領有権を巡る意見の不一致は表面化していなかった〔。 1906年3月31日からアメリカ、オランダ間の外交交渉が始まり〔、その結果1925年1月23日に両国の間で特別協定が結ばれた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パルマス島事件」の詳細全文を読む
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