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パレルモ石(Palermo Stone)は、エジプト古王国のRoyal Annalsとして知られる石碑の7つの現存する断片の1つである。この石碑には、エジプト第1王朝からエジプト第5王朝初期までのエジプト王の一覧とその治世下の年ごとの重大事件が記されている。恐らく第5王朝期(紀元前2392年-2283年頃)に作られたものである〔Dodson, Aidan (2004) ''The Complete Royal Families of Ancient Egypt'', p.62. Thames & Hudson, ISBN 0-500-05128-3.〕。イタリアのパレルモにあるAntonio Salinas Regional Archaeological Museumに収蔵され、ここから名前が付けられた。 「パレルモ石」という名称は、カイロやロンドンの博物館に収蔵されるものを含む、Royal Annalsの現存する7つ全ての断片を指す場合もある。また、これらの断片はまとめて"Cairo Annals Stone"と呼ばれる場合もあるが〔Dodson〕、"Cairo Stone"という言葉は現在カイロに収蔵される断片のみを表すのにも用いられる。 パレルモ石とRoyal Annalsのその他の断片は、古代エジプト以来残されてきた恐らく最古の文書記録であると考えられており、古王国時代のエジプト史の重要な情報源である。 ==概要== パレルモ石がその一部であるRoyal Annals石碑は、元々高さ60cm、幅2.1mであったと考えられている。断片は、恐らく玄武岩の一種である硬く黒い石でできている。 パレルモ石自体は不規則な盾形で、高さ43.5cm、幅25cm、厚さ6.5cm(最大)である。 表面の碑文は、右から左への6行のヒエログリフからなっている。1行目には、王朝誕生前のエジプトの下エジプトの王の名前が列挙されている(デシェレト(赤い冠)で識別される)。2行目以降に続く行は、第1王朝から第4王朝のファラオの年代記、つまり年代順に並べた各々の王の治世下の重要な出来事が列挙されている。2行目は、名前が明らかとなっていない第1王朝の王の最終年から始まっているが、一般的にはこの王はナルメルまたはホル・アハであると推定されている〔Lloyd, Alan B. (1988), ''Commentary on Herodotus'' 99–132 p.8.〕。2行目の残りは、この王の後継者(ホル・アハかジェルと推定される)の最初の9年間の年代記が書かれている。この面の碑文の残りの部分には、第4王朝の王までの年代記が続いている。 文章は裏面に続き、第5王朝の3人目の王ネフェルイルカラー・カカイの治世までの出来事が記されている〔O'Neill, John P. ''Egyptian Art in the Age of the Pyramids''. p.349. Yale University Press. The Metropolitan Museum of Art. 1999. ISBN 0-87099-907-9〕。残った断片からでは、元のRoyal Annalsでこれより先の時代の出来事が書かれていたか否かは分からない。王の名前が記載されたところには、王の母の名前も記録されている。 記録された情報には、毎年のナイル川の水位の測定(ナイロメーター)、氾濫、祭祀の詳細、課税、彫刻、建築物、戦争等がある〔Shaw, Ian (2003) ''The Oxford History of Ancient Egypt'', p.5. Oxford University Press. ISBN 0-19-280458-8.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パレルモ石」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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