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ヒスパニア・バエティカ : ウィキペディア日本語版 | ヒスパニア・バエティカ
ヒスパニア・バエティカ(ラテン語:、ヒスパーニア・バエティカ)は、イベリア半島にあったローマ帝国の属州のひとつ。ヒスパニア・タッラコネンシスを東に接し、ルシタニアを西に接する。現在のスペイン、アンダルシア地方に相当する地域。元老院属州のひとつで、元老院の任命のもとでプロコンスルが統治した。 ==ローマ以前== ローマが侵出する前、この地域はケルト系の部族がいくつか居住する地域で、南方の地中海の小島および沿岸部ではフェニキア人が活動を行っていた。また、この地域はワイン、オリーブ、そしてローマでは「ガルム」と呼ばれた魚醤の産地で、古くから地中海世界では非常に重要な地域でもあった。 第一次ポエニ戦争後、ハミルカル・バルカがカルタゴを後にしてカルタゴ・ノウァ(現:カルタヘナ)を建設。この頃よりローマもギリシア人の植民市などと同盟を結ぶなどその影響力を伸ばしつつあり、カルタゴとの関係が緊張する。紀元前226年にはエブロ川を境に相互不可侵条約を結ぶが、紀元前218年、ハンニバルがサグントゥム(現:サグント)を攻撃、第二次ポエニ戦争が始まった。そしてハンニバルは軍を率いてアルプス山脈を越えてイタリア半島へ侵攻、この地域の統治は弟ハスドルバルに任された。 ハンニバルがイタリア半島内で戦っている頃、この地域は逆にローマ軍の攻勢を受けて劣勢になり、紀元前209年、スキピオ・アフリカヌスによってカルタゴ・ノウァは陥落。紀元前207年にハスドルバルはメタウルスの戦いで戦死した。
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