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ヒズル・ホージャ(? - 1403年?)は、東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)の君主(在位1389年? - 1403年?)。 『明史』などの漢語史料では「黒的児火者」と表記される。トゥグルク・ティムールの子で、イリヤース・ホージャの弟。 のカマルッディーンによってイリヤース・ホージャが暗殺された後、イリヤース・ホージャの兄弟ヒズル・ホージャはイリ川谷から離れてウイグルスタンに移り、トルファンで再起を図った〔ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、27頁〕。 1389年のティムールのモグーリスタン遠征ではカマルッディーンだけでなくウイグルスタンのヒズル・ホージャも攻撃を受け、敗れたヒズル・ホージャはゴビ砂漠に逃走した〔。1390年にカマルッディーンは消息を絶ち、ヒズル・ホージャはドグラト部の当主ホダーイダードの助けを得てハンに即位する〔ラフマナリエフ「チムールの帝国」『アイハヌム 2008』、28頁〕。即位から間も無く、ティムールと講和した〔。 1397年春、ティムール朝に留められていた息子のシャムイ・ジャハーンがモグーリスタンに送り返され、ティムールからヒズル・ホージャの娘テュケル(トゥカル)との結婚が提案された〔加藤和『ティームール朝成立史の研究』、300頁〕。ティムールとトゥカル・ハーヌムの婚姻が成立すると両国は講和し、同年11月にトゥカル・ハーヌムはティムールの元へ到着した〔。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヒズル・ホージャ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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