翻訳と辞書
Words near each other
・ ヒメモリバト
・ ヒメヤカヒメサマ
・ ヒメヤスデ目
・ ヒメヤドリエビ亜綱
・ ヒメヤブラン
・ ヒメヤマセミ
・ ヒメヤマノカミ属
・ ヒメユズリハ
・ ヒメユリ
・ ヒメヨシゴイ
ヒメラの戦い
・ ヒメリンゴ
・ ヒメレンジャク
・ ヒメ・M・グランチェスタ
・ ヒメーシュ・レーシャミヤー
・ ヒメーネス
・ ヒメ目
・ ヒモ
・ ヒモサボテン
・ ヒモサボテン属


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヒメラの戦い : ウィキペディア日本語版
ヒメラの戦い[ひめらのたたかい]

ヒメラの戦い(ヒメラのたたかい、英:Battle of Himera)は、紀元前480年シチリア島のヒメラにて勃発したシュラクサイ軍とカルタゴ軍の戦いである。一連ののうち、第一次シチリア戦争と区別される。東の大国ペルシア帝国を撃破したペルシア戦争と同時期の戦争(ヘロドトスによれば、サラミスの海戦と同日)であり、ギリシアはこの戦いを通して西側でも異国の大軍に勝利したことになる。イメラの戦いとも呼ばれる。
== 背景 ==
当時、シチリア島には多くのギリシア人が植民地を設けており、繁栄していた。その内の一つであるアクラガスで全てが始まった。紀元前483年頃にアクラガスの僭主テロンが、ヒメラの僭主テリロスを追放し、代わりに自らの息子であるトラシュダイオスを支配者に据えたのだ。追放されたテリロスは娘婿である南イタリアのアナクシラスを頼った。アナクシラスは賓客関係にあるカルタゴハミルカルに救援を要請し、ハミルカルはそれを受けて30万にも及ぶとされる大軍勢を200隻以上の軍船と3000隻以上の輸送船で以てヒメラへと進軍させた。この大軍は、カルタゴ人のみならず、リュビア人イベリア人、リグリア人、エリシュコイ人、サルディニア人、キュルノス人たちで構成された連合軍であり、同時期にギリシアを攻め込んでいたペルシア帝国の援助も受けていた。
30万のカルタゴ連合軍の報せを受けたテロンは、到底アクラガスの軍力では対抗できないと悟り、互いの地位強化のために手を組んでいたシュラクサイの僭主ゲロンに救援を要請した。ゲロンは5万の重装歩兵と5000の騎兵を用意し、カルタゴ連合軍と対峙することに決めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヒメラの戦い」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.