翻訳と辞書
Words near each other
・ ヒャッコ
・ ヒャッコ よろずや事件簿!
・ ヒャッコエクストラ
・ ヒャッハーだよ♪ ふなっしー
・ ヒャッポダ
・ ヒャルティ・スケッギャソン
・ ヒャルマル・アンデション
・ ヒャルマル・シャハト
・ ヒャルマール・シャハト
・ ヒャルマー・シャハト
ヒャルマー・シーラスヴォ
・ ヒャン
・ ヒャーシャタル
・ ヒャーリング
・ ヒヤシンス
・ ヒヤシンスステークス
・ ヒヤシンス属
・ ヒヤシンス科
・ ヒヤッキー
・ ヒヤップ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヒャルマー・シーラスヴォ : ウィキペディア日本語版
ヤルマル・シーラスヴオ

ヤルマル・フリドルフ・シーラスヴオ(Hjalmar Fridolf Siilasvuo, 1892年3月18日1947年1月11日)は、フィンランドの軍人。最終階級は中将。
1934年、北エステルビョッテン軍区司令官に任命。冬戦争時、第9師団を指揮した。継続戦争では1941年、第3軍団長に任命され、同年6月、ドイツの「ノルウェー」軍の作戦統制下に置かれた。第3軍団は、ウヒン及びケステグ方面で行動した。1942年~1944年、教育総監。1944年、第3軍団長に再任され、カレリア地峡(ケクスゴルム方面)に展開し、ヴオクシン水系を防衛した。1944年中盤、ドイツ特務機関がフィンランドでの軍事クーデターを計画した時、シーラスヴオはその総司令官候補と見られていた。
ソ連との和平条約署名後、1944年9月末、ラップランド軍(約7万5千人)司令官に任命され、ラップランド戦争ではドイツ軍と戦った。同年10月、攻勢を開始し、11月20日までに国境線まで進出した。1944年~1947年、第1師団長。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヤルマル・シーラスヴオ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hjalmar Siilasvuo 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.