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ビクター・ヘスス・マルティネス(Víctor Jesús Martínez, 1978年12月23日 - )は、ベネズエラ・ボリバル州シウダ・ボリバル出身のプロ野球選手(捕手、一塁手、指名打者)。右投両打。現在はMLBのデトロイト・タイガースに所属している。 メディアによっては名を「ビクトル」と表記されることがある。 == 経歴 == === インディアンス時代 === 7月15日にクリーブランド・インディアンスと契約。までベネズエラでプレーした。 はA-級マホニングバレー・スクラッパーズで64試合に出場し、4本塁打36打点、打率.277だった。 はA級コロンバス・レッドスティックスとA+級キンストン・インディアンスでプレー。A+級では26試合に出場し、8打点1盗塁、打率.217だった。 はA+級キンストンで114試合に出場し、10本塁打57打点3盗塁、打率.329だった。 3月1日にインディアンスと1年契約に合意。3月17日にAA級アクロン・エアロズへ異動し、AA級で開幕を迎えた。AA級では121試合に出場し、22本塁打85打点3盗塁、打率.336だった。9月9日にメジャーへ昇格し、9月10日のトロント・ブルージェイズ戦でメジャーデビュー。7番・捕手で先発起用され、4打数1安打2打点だった。この年は12試合に出場し、1本塁打5打点、打率.281だった。シーズン終了後、インディアンス傘下の最優秀マイナー選手とイースタンリーグ最優秀選手に選出された。 3月3日にインディアンスと1年契約に合意。前年オフに正捕手のイーナー・ディアスがテキサス・レンジャーズへ移籍したため、ジョシュ・バードと正捕手を争うことになった。球団はバードではなくマルティネスが近い将来、背負って立つ存在になるとみていた〔小林信行 「2003チーム・レポート vol.1 正捕手の座を争う2人のプロスペクト クリーブランド・インディアンス」 『月刊スラッガー』2003年5月号、日本スポーツ企画出版社、2003年、雑誌15509-5、95頁。〕が、開幕捕手はバードが獲得し、マルティネスは3月17日にAAA級バッファロー・バイソンズへ異動。開幕をAAA級で迎えた。打率.228と不調だったバードに代わって、6月27日にメジャーへ昇格し、正捕手の座を獲得したが、8月9日に右足首の故障で15日間の故障者リスト入りした。9月2日に復帰。この年は49試合に出場し、1本塁打16打点1盗塁、打率.289だった。 3月5日にインディアンスと1年契約に合意。開幕後はバードの故障もあり、正捕手に抜擢。前半戦76試合で12本塁打63打点、打率.290と活躍し、自身初のオールスターゲームに選出された。この年は141試合に出場し、捕手としてメジャー最多の21本塁打・101打点を挙げ、にサンディー・アロマー・ジュニアが記録した83打点の捕手としての球団記録を更新。オフの11月3日にシルバースラッガー賞を受賞した。 3月3日にインディアンスと1年契約に合意したが、開幕直前の4月5日に総額1550万ドルの5年契約〔2005年は50万ドル、2006年は80万ドル、2007年は300万ドル、2008年は425万ドル、2009年は570万ドル。〕(契約金100万ドル、2010年・700万ドルの球団オプション付き〔違約金は25万ドル。〕)を結んだ。この年は147試合に出場し、20本塁打80打点、打率.305だった。 開幕前の3月に第1回WBCのベネズエラ代表に選出された〔Tournament Roster ''The official site of World Baseball Classic'' 2016年3月3日閲覧 〕。 シーズンでは153試合に出場し、16本塁打93打点、打率.316だった。 は自己ベストとなる25本塁打・114打点をマークし、3年ぶり2度目のオールスターに選出された。守備では盗塁阻止率は32.0%と自己ベストを更新。疲労軽減のため、一塁手として前年を上回る30試合に出場した〔「2008年捕手ランキング」『月刊スラッガー』2008年6月号 雑誌15509-6 10項〕。 は右ヒジの痛みを開幕時から抱え、開幕戦ではハムストリングの肉離れを起こしたが、その後も出場を続けた。しかし、本塁打が0のまま6月12日、右ヒジ痛で故障者リスト入り。その後、内視鏡で骨片除去手術を受け〔、2カ月以上戦線を離れた。73試合の出場に終わり、打率.278・2本塁打・35打点はメジャー定着後最低の成績となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビクター・マルティネス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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