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ビクトリア・アザレンカ : ウィキペディア日本語版
ビクトリア・アザレンカ

ビクトリア・アザレンカVictoria Azarenka, , 1989年7月31日 - )は、ベラルーシミンスク出身の女子プロテニス選手。2012年2013年全豪オープン女子シングルスの優勝者であり、ベラルーシ人として初めて世界ランキング1位になった選手である。これまでにWTAツアーでシングルス17勝、ダブルス6勝を挙げる。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス7位。身長183cm、体重66kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 来歴 ==
アザレンカは母親の勧めで7歳からテニスを始めたが、家族の中でテニスをしているのはビクトリア1人だけである。2004年ウィンブルドンのジュニア女子ダブルス部門で優勝し、2005年には全豪オープン全米オープンのジュニア女子シングルス、全仏オープンウィンブルドンのジュニア女子ダブルスで優勝した。ジュニア女子ダブルスでは、アグネシュ・サバイハンガリー)とのコンビで2大会連続優勝を達成している。2005年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップベラルーシ代表選手になった。
2006年から4大大会の本戦に出場し始め、全米オープンで初めての3回戦進出を決める。17歳のアザレンカは1回戦で第11シードのアナスタシア・ミスキナを破った金星の後、3回戦でアンナ・チャクベタゼロシア)に敗れた。全米オープンの後、2006年10月のウズベキスタンタシュケント大会で、アザレンカは同じベラルーシタチアナ・ポウチェクとペアを組んでダブルス初優勝を飾り、シングルスでも準決勝まで進出した。
2007年全豪オープンで、ビクトリア・アザレンカはベラルーシの先輩選手マックス・ミルヌイとペアを組んだ混合ダブルス部門で決勝に勝ち進み、ベテランペアのダニエル・ネスターカナダ)&エレーナ・リホフツェワロシア)組に 4-6, 4-6 で敗れて準優勝になった。この年は全仏オープン以外の4大大会で3回戦に勝ち残る。全米オープン3回戦では元世界1位のマルチナ・ヒンギスを破った後、初進出の4回戦で2004年の優勝者スベトラーナ・クズネツォワに 2-6, 3-6 で敗れた。この後、アザレンカとミルヌイは混合ダブルスで全豪オープンに続く決勝進出を果たし、リーンダー・パエスインド)&メガン・ショーネシーアメリカ)組を 6-4, 7-6 で破り、アザレンカはここで初めてのグランドスラム・タイトルを獲得した。
2008年全豪オープンで、アザレンカは初めて女子シングルスの「第26シード」に選ばれ、3回戦で大会前年度優勝者のセリーナ・ウィリアムズに敗れた。同大会では女子ダブルスで活躍し、シャハー・ピアーイスラエル)とペアを組んで決勝に勝ち進んだが、ウクライナの姉妹ペアであるアリョーナ・ボンダレンコ&カテリナ・ボンダレンコ組に 6-2, 1-6, 4-6 の逆転で敗れ、準優勝に終わった。全仏オープンでは、シングルスは4回戦でスベトラーナ・クズネツォワに敗れたが、混合ダブルスでボブ・ブライアンアメリカ)とペアを組み、決勝でネナド・ジモニッチセルビア)&カタリナ・スレボトニクスロベニア)組を 6-2, 7-6 で破って優勝した。これにより、アザレンカは混合ダブルスで全仏オープンと全米オープンの2冠を獲得したことになる。8月の北京五輪にもベラルーシ代表選手として初出場し、シングルス3回戦でビーナス・ウィリアムズに敗れた。
2009年1月、アザレンカはブリスベン国際決勝戦でマリオン・バルトリフランス)に 6-3, 6-1 で快勝し、女子ツアーシングルス初優勝を達成した。同年の全仏オープンで、アザレンカは初めてのシングルス・ベスト8に入り、女子ダブルスでエレーナ・ベスニナロシア)と組んで準優勝した。アザレンカとベスニナは、決勝で2連覇を目指したスペインペアのビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に 1-6, 1-6 で完敗した。この年は女子ツアーでシングルス3勝・ダブルス2勝を挙げ、彼女はシングルス・ダブルスともに世界ランキングトップ10入りを果たした。
2010年はシングルスで4回決勝に進出し2大会で優勝、2大会で準優勝した。2011年の全豪オープンではシングルスは4回戦で敗退したが、マリア・キリレンコと組んだダブルスで3年ぶりの決勝に進出した。決勝では第1シードのヒセラ・ドゥルコ&フラビア・ペンネッタ組に 6-2, 5-7, 1-6 の逆転で敗れ4大大会ダブルス初優勝を逃した。
2011年のマイアミ大会とマルベーリャ大会で2週連続優勝を果たした。5月のマドリード大会では決勝でペトラ・クビトバチェコ)に 6–7(3), 4–6 で敗れたが、大会後のランキングで4位となりナターシャ・ズベレワの5位を超え、ベラルーシ人として最高位を記録した。ウィンブルドンでは4大大会シングルスで初めてのベスト4に進出。準決勝で優勝したペトラ・クビトバに 1–6, 6–3, 2–6 で敗れた。全米オープンでは3回戦でセリーナ・ウィリアムズに 1-6, 6-7(5) で敗れたが大会後のランキングで自己最高の3位を記録した。最終戦では初めての決勝に進出しペトラ・クビトバに 5–7, 6–4, 3–6 で敗れ準優勝となった。
2012年は初戦のシドニー国際で優勝し、全豪オープンでは、4大大会初の決勝進出。決勝で、マリア・シャラポワに 6-3, 6-0 でストレート勝ち。4大大会シングルス初優勝となった。大会終了後のランキングでベラルーシ人として初めての世界ランキング1位になった。2月のドーハ大会と3月のインディアンウェルズ大会でも優勝した。続くソニー・エリクソン・オープン準々決勝でマリオン・バルトリに 3-6, 3-6 で敗れ、開幕からの連勝は26でストップした。全仏オープンでは4回戦でドミニカ・チブルコバに 2–6, 6–7 で敗れ優勝したシャラポワに1位を明け渡した。ウィンブルドンでは2年連続のベスト4に進出した。準々決勝でセリーナ・ウィリアムズに 3–6, 6–7 で敗れたがシャラポワが4回戦で敗退したことにより1位に復帰した。7月のロンドン五輪で2度目の五輪に出場した。シングルスでは準決勝でセリーナ・ウィリアムズに 1–6, 2–6 で敗れたが、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でロシアのマリア・キリレンコに 6-3, 6-4 で勝利し銅メダルを獲得した。マックス・ミルヌイと組んだ混合ダブルスでは決勝でローラ・ロブソン&アンディ・マリー組に 2–6, 6–3, で勝利し金メダルを獲得した。全米オープンでは決勝でセリーナ・ウィリアムズに 2–6, 6–2, 5–7 で敗れ準優勝となった。
2013年全豪オープンでは決勝で李娜を 4-6, 6-4, 6-3 で破り大会連覇を果たした。全米オープンでは決勝において2年連続でセリーナ・ウィリアムズと対戦したが、5-7, 7-6, 1-6 で破れ、昨年の雪辱はならなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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