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ビコール支隊[びこーるしたい] ビコール支隊(ビコールしたい)は、大日本帝国陸軍の集成支隊の一つ。1945年(昭和20年)3月19日に第41軍(振武集団)命令によって、フィリピンのルソン島のビコル半島(当時は「ビコール」と呼称)およびサマール島、カプル島に配置されていた陸軍部隊をもって編成された。 == 支隊の編成(昭和20年3月19日)以前までの概要 == 1944年(昭和19年)12月、ビコル半島に位置した第105師団が北部に転進を開始すると、ビコル半島には歩兵第81旅団(第105師団隷下)長の野口進少将の指揮の野口支隊が残置された。同月、第14方面軍より野口支隊のサンベルナルジノ海峡守備任務が解除された。これは野口支隊への転進準備を意味した命令であった。1945年(昭和20年)1月1日に振武集団(第41軍)が指揮権を発動すると、野口支隊はその指揮下に入り、野口支隊の主力はアンチポロ方面への転進を命ぜられた。 しかしサマール島の歩兵第9連隊第2大隊と独立混成第26連隊第1大隊は、同島に上陸したアメリカ軍と交戦しながら北進しなければならなかった。さらには船舶の不足も重なりサンベルナルジノ海峡を越えての転進は難航した。匪賊(ゲリラ)による攻撃も各地で増加したため、在サマール島部隊の転進路を確保するためにビコル半島の要所に位置する警備部隊や鉄道部隊は残留しなければならなかった。さらに3月になるとアメリカ軍の進出により振武集団とビコル半島との間が遮断され、ビコル半島が孤立する可能性が濃厚となった。 1945年3月19日、これらの状況から、振武集団は、ビコル半島、サマール島、カプル島の陸軍部隊の北進を中止させ自給自戦の体制に移行させるためにビコール支隊を編成した。このときすでに、在カプル島の部隊は2月19日にアメリカ軍の上陸を受けて2月下旬までに玉砕していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビコール支隊」の詳細全文を読む
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