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ビスマルク級戦艦(びすまるくきゅうせんかん、Schlachtschiffe der Bismarck-Klasse)は シャルンホルスト (Scharnhorst) 級戦艦に引き続き、ドイツ海軍が第二次世界大戦中に竣工させた最初にして最後の超弩級戦艦である。 一番艦のビスマルクは1936年7月1日に起工、1940年8月に竣工した。二番艦ティルピッツは1936年11月に起工し、1941年2月に竣工した。 ==概要== ドイツは1935年3月ヴェルサイユ条約を破棄し、同年5月18日にを締結した。そして、協定に沿った建艦計画を同年中に立て、北大西洋を見据えた長距離行動が可能な装甲艦を基本に置いた艦隊の編成を計画した。その中で仮想敵国であるイギリス、フランス(両国は同盟関係でもあった)の阻止攻撃から通商破壊作戦に当たる艦船を防衛するために、戦艦艦隊の必要性が認識され、本級が建造された〔第2章「英独海軍条約とZ計画」広田厚司『ドイツ海軍入門』〕。後のZ計画もこの構想を拡大した形で引き継いでいるが、同計画が目標とした1945年の対英戦準備完了時点を想定した構想では、本級とシャルンホルスト級を中心とした艦隊が北海で睨みを効かせ、イギリス艦隊を本国海域に拘束する計画となっている。通商破壊は装甲艦など他艦の役目であり、イギリス海軍が船団護衛や通商破壊艦狩りに兵力を分散配置した場合には、H級戦艦を中心とした別の水上艦隊を大西洋に出撃させることになっていた〔阿部安雄「幻のナチス大艦隊」『世界の艦船』1978年6月〕。 本級の構想自体は英独海軍協定以前より存在していたが、上記の経緯からイギリス、フランスの戦艦に対抗できる能力が求められ、規模は拡大していった。フランス海軍についてはダンケルク級戦艦への対抗を想定している。当初は「13インチ砲8門搭載で速力30ノット以上、基準排水量35,000トン」を目的として設計され、設計期間短縮のために第一次世界大戦時に設計された超弩級戦艦「バイエルン級」の設計を流用した経緯はシャルンホルスト級戦艦と同一である。このため「新しい旧式艦」といわれることもある。基準排水量は協定に従い35,000トンと公表されたが、実際には協定を違反する4万トン超に達した。 英独海軍協定に従えば、本級建造によって残る建造枠は1隻となるはずだったが、結局協定は破棄された。また、本級の設計は後続艦のタイプシップとして成立しており、H-39からH-44に至る全ての戦艦が、本級の基本設計を踏襲・拡大改良したものとなっている。 当初の建造計画を上回る主砲を搭載してイギリスやフランスなどの38cm、40.6cm(15インチ、16インチ)クラスの砲の搭載艦に匹敵する装甲と火力を持つこととなり、前級の「バイエルン級」にはなかった高速航行力を持つ。 しかしながら、第二次世界大戦の勃発によりビスマルク級に続くZ計画戦艦群は建造されなかったため、本級は、第二次世界大戦に参加したドイツ水上艦の中では最大かつ最強となった。存在が公表されている場合、戦艦はその国の海軍力の象徴とみなされ、本級も盛大な進水式を行っている。従って後の世にこうした艦が紹介される際にも、巨大さ、強さ、先進性などは紹介の際に誇示された。本級もその例に漏れず、大きさについては下記のように幾つかの指標があるが、時期的な条件を付して「最大」といった形容がなされてきた〔例えば広田厚司は『ドイツ海軍入門』第7章で「大和型が登場するまでは」という但し書きをつけており、このような特定の時点に絞った形容表現は『世界の艦船 増刊 第二次大戦のドイツ軍艦』等他の多くの書籍にもみられる。〕〔評価尺度を偏向すれば序列が変化することはままある。例えばティルピッツとヴァンガードの満載排水量を比べた場合、ヴァンガード51420トン、ティルピッツ52600トンと、ティルピッツの方が上回っているまた、単純に排水量だけが性能の指標となるわけではない。〕。他の欧州各国が計画した本級より大型の新型戦艦も大半が第二次世界大戦により建造を中止したり、計画を変更して完成したことや、ティルピッツが若干の設計変更により排水量を増したことも、こうした形容合戦を複雑なものとした。 参考:列強最大戦艦排水量〔『BATTLESHIPS AND BATTLE CRUISERS 1905-1970』より〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビスマルク級戦艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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