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ビスミッラー・ハーン・モハンマディ(、Bismillah Khan Mohammadi 1960年 - )は、アフガニスタンのムジャーヒディーン、軍人、政治家。大将。現国防相。元アフガニスタン軍参謀総長。 ==経歴== 1960年頃、パルヴァーン州、パンジシール峡谷のシャイカン村に生まれた。タジク人。靴屋の息子。モスク附属のマドラサ、ロハ市の小学校、カーブルのアブ・ハニーファ・メドレセで学んだ。ある情報によれば、カーブル大学神学部を卒業したともいう。 1979年、アフガニスタン・イスラム協会が組織したカーブル、チャンダヴォリ地区でのハザーラ人の蜂起に参加したが、政府軍により鎮圧された。その後、パンジシールに移り、アフマド・シャー・マスードと合流し、その野戦指揮官となった。1980年頃、パキスタンに移り、アフガニスタン・イスラム協会の情報委員会で働いた。 1981年、マスードの元に戻り、彼の幕僚となった。1984年末からパンジシール峡谷の補給部長。彼の本部が置かれたサラン峠地区は、マスードの支配地でカーブルに最も近く、政府軍及びソ連軍と断続的に和平と戦闘を繰り返した。1988年、カーブル北方のカーピーサー州及びパルヴァーン州を担当する中央地帯副司令官。 1992年春、政府軍第40師団が防衛するバグラム空軍基地を攻撃。宣伝と交渉を駆使して、4月15日に空軍基地を無血占領した。同年4月からバグラム警備司令。 1990年代末から2001年まで、カーブル方面軍司令官となり、カーブル及びバグラーム方面でターリバーンと戦った。北部同盟の国防次官。 2001年~2003年9月20日、国防第一次官。2002年から新国軍の司令官として言及され始めた。2003年9月20日、参謀総長。 2010年6月29日、国会下院により内務相として承認。 2012年9月15日、内務大臣から横滑りして国防大臣に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビスミッラー・ハーン・モハンマディ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bismillah Khan Mohammadi 」があります。 スポンサード リンク
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