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ザ・ジャンクヤード・ドッグ(The Junkyard Dog、本名:Sylvester Ritter、1952年12月13日 - 1998年6月2日〔)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ノースカロライナ州ウェイズボロ出身のアフリカ系アメリカ人。通称 "JYD"。 1980年代を全盛期に、WWFや南部エリアを中心に活躍、陽気なキャラクターを持つベビーフェイスのブルファイターとして、主に子供の観客からの人気を集めた〔ショーン・アセール、マイク・ムーニハム著『WWEの独裁者-ビンス・マクマホンとアメリカン・プロレスの真実』P89-90(2004年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583037880)〕。 == 来歴 == === 初期 === 地元ノースカロライナのファイエットビル州立大学ではアメリカンフットボールの選手として活躍し、オール・アメリカンに2度選ばれている〔。卒業後はNFLのグリーンベイ・パッカーズにドラフト指名されるが〔、トレーニングキャンプで膝を故障し、プロレスラーに転向〔。黒人レスラーのソニー・キングのトレーニングを受け、1977年にテネシーのNWAミッドアメリカ地区にて、リロイ・ロチェスター(''Leroy Rochester'')のリングネームでデビューする。ジプシー・ジョーとタッグを組むなど、当時はヒールのポジションで活動していた。 1978年、テネシーと提携していたカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングへの参戦を機に、ビッグ・ダディ・リッター(''Big Daddy Ritter'')と改名。1979年4月にはこのリングネームで国際プロレスに初来日している〔〔『忘れじの国際プロレス』P106(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)〕。スーパースター・ビリー・グラハム、ジプシー・ジョー、キラー・ブルックス、上田馬之助、マサ斎藤などの大物選手が同時参加していたため、タイトルへの挑戦権は与えられなかったものの、大木金太郎ばりの一本足頭突きを武器に好ファイトを展開した(来日の前年、海外武者修行でカルガリーに遠征していた阿修羅・原との試合も東京12チャンネルの『国際プロレスアワー』で放送されている)。 カルガリーではジェイク・ロバーツらを破り、同地区のフラッグシップ・タイトルだった北米ヘビー級王座を2度に渡って獲得。ミスター・ヒト、ギル・ヘイズ、ジム・ナイドハート、レオ・バーク、さらにはジン・キニスキーなどを相手に防衛戦を行い、タッグでは後にWWFでもサーキットを共にするダイナマイト・キッドと組んで活躍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンクヤード・ドッグ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Junkyard Dog 」があります。 スポンサード リンク
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