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ビニー・カスティーヤ(Vinicio Castilla Soria、1967年7月4日 - )はメキシコ・オアハカ州オアハカ出身の元メジャーリーグ選手。ポジションは三塁手。最終所属はコロラド・ロッキーズ。移籍が多い選手で、コロラド・ロッキーズに3度とアトランタ・ブレーブスに2度在籍している。 ==略歴== からにかけてはメキシカン・リーグに所属し、にアトランタ・ブレーブスに入団。9月1日に、メジャーデビューを果たす。 シーズンオフ、拡張ドラフトで新生コロラド・ロッキーズの指名を受け、ロッキーズに移籍。にはレギュラーに定着し、35本塁打を記録してチームの球団創設3年目にして初のワイルドカードでのディビジョンシリーズ進出に貢献。翌には40本塁打・113打点を記録。チームメイトのアンドレス・ガララーガ、エリス・バークスも40本塁打を記録し、メジャー史上2チーム目の「同一シーズンに40本塁打3人」を記録。さらにダンテ・ビシェットも含めて4人が100打点を記録し、こちらはメジャー史上3チーム目であった。には全162試合に出場し、いずれも自己最多となる46本塁打、144打点を記録。 その後、オフに2選手との交換トレードでタンパベイ・デビルレイズに移籍するが、以後は不振や故障も相まって移籍を繰り返す。途中にヒューストン・アストロズに移籍。にはブレーブスに復帰し、まで所属するとにはロッキーズに復帰。かつての打棒を取り戻し、同年7月7日に、ホルヘ・オータが保持していたメキシコ人のメジャー安打記録(1620)を更新。この年には35本塁打・131打点を記録し、36歳で初の打撃タイトルである打点王を獲得するも、翌にはワシントン・ナショナルズに移籍。 にはワールド・ベースボール・クラシックでメキシコ代表のチームキャプテンを務めた。 2006年シーズンはサンディエゴ・パドレスで始めたが、途中で現役引退を表明、自分の野球人生の中で一番いい思い出を持っているロッキーズで引退したいという意思を明かした。それで、シーズン途中にロッキーズにトレードされ、同年9月28日に本拠地クアーズ・フィールドでの試合に代打で登場してタイムリーヒットを放ったのが最後の打席となった。シーズン終了後、願い通りロッキーズの一員として引退した。 チームの打線を支えた功労者として、フランチャイズ・プレイヤー並みの扱いを受けた。そして、引退後は球団からアドバイザーの役職が用意された。 母国メキシコでは英雄的存在で、にはリーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ(メキシコで行われるウィンターリーグ)のナランヘロス・デ・エルモシージョ(Naranjeros de Hermosillo、HER)で監督兼任選手を務める。に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは メキシコ代表監督を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビニー・カスティーヤ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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