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ビャウィストク・ミンスクの戦い : ウィキペディア日本語版 | ミンスクの戦い[みんすくのたたかい]
ミンスクの戦い(英:Battle of Białystok–Minsk、ビアウィストク=ミンスクの戦い)は、バルバロッサ作戦発動後、1941年6月22日から29日にドイツ国防軍のソ連国境侵入時にドイツ中央軍集団によって行われた戦いであり、ドイツ軍はミンスクでソビエト赤軍を包囲した。 ==前夜== ドイツ中央軍集団(司令官フェードア・フォン・ボック)は、ポーランドを越えて、ビアウィストク-ミンスク-スモレンスク経由で、モスクワへの進撃をするよう命令された。中央軍集団には第3装甲軍(司令官ヘルマン・ホト)第2装甲軍(司令官ハインツ・グデーリアン)の2個装甲軍が所属しており、9個装甲師団、6個自動車化歩兵師団及び騎兵師団が所属、その他、2個軍には33個歩兵師団が所属していた。また、中央軍集団は2個航空艦隊の支援を受けることができた。 それに対するソビエト赤軍西部戦線(司令官ドミトリー・パヴロフ)は国境線に第3、第4、第10軍、また、ソビエト赤軍最高司令部所属として将兵を持たない第13軍が司令部のみで存在、西部方面軍には、全部で25個狙撃兵師団、騎兵師団、13個戦車師団、7個自動車化歩兵師団が所属していた。独ソ国境線に配置されたソビエト赤軍はドイツ軍を刺激しないようにせよとのスターリンの命令を受けていたため、ドイツ国境の防衛線は手薄であった。 ドイツ軍はソビエト赤軍西部戦線を他の方面軍から切り離し、包囲するためにビアウィストク、ナヴァフルダク、ミンスクの西へと進撃した。
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