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ビルマ国(ビルマこく、英語:the State of Burma)は、1943年(昭和18年)8月1日から1945年(昭和20年)前半までの期間ビルマ(現ミャンマー)に存在した国家。日本の支援を受けてイギリスの植民地支配から独立する形で誕生したが、日本の傀儡政権とする批判もある。 == 概要 == 1942年(昭和17年)、アウンサン率いるビルマ独立義勇軍(BIA)が建軍され、日本軍と共にイギリス支配下のビルマへと進軍(ビルマ戦役)、同年4月にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウが解放された。日本軍は新政府の指導者となるようバー・モウを説得し、彼を新しく設けた行政府の長官に就任させた。 1943年(昭和18年)8月1日早朝、ビルマ方面軍司令官河辺正三は、バー・モウらを前に軍政施行撤廃を宣言。このあと日本政府・軍の後押しによる独立準備委員会は建国議会の成立と独立を宣言、「ビルマ国」が誕生した。バー・モウは国家代表に推戴され、訪日時に授与された勲一等旭日大綬章を佩用して就任を宣誓。そのあと閣僚15名と枢密院議員17名を任命した。また即日、日本政府から承認を受け、同盟条約を締結するとともに、ラジオ放送を通じて米英に対し宣戦布告をおこなった。 バー・モウはビルマ国内に向けては大統領(Naingandaw Adipadi)を名乗っていたが、共和制を忌避する日本に配慮し、対外的には首相を名乗った〔日本ニュース第166号|NHK戦争証言アーカイブス 。ここではバー・モウを「国家代表」「内閣総理大臣」と紹介している。〕。1943年11月には東京で開かれた大東亜会議にバー・モウが参加しているが、大東亜共同宣言にはビルマ国内閣総理大臣として署名している。 しかし、1944年末までにインパール作戦で失敗を繰り返すなど日本の敗色が濃くなった為、4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受けた参謀部情報班所属の浅井得一がバー・モウ暗殺未遂事件を起こす。1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。 1945年、連合国軍のビルマ奪回を目指す攻勢を受け、日本軍は同年5月にラングーン(現ヤンゴン)から撤退した。それにより、ビルマ国政府は日本に亡命し、元首のバー・モウも8月にはタイ王国経由で日本へ亡命した。そして、同年8月に日本が連合国に降伏したことでビルマ国は事実上解体、戦犯容疑者とされたバー・モウは同年12月に自らイギリス軍へ出頭した。 現在、ミャンマー政府は、ミャンマー独立をビルマ連邦が成立した1948年としており、ビルマ国との連続性を認めていない。しかし一方で、ミャンマー国軍は1942年のビルマ独立義勇軍創設をもってその建軍としており、またミャンマー政府は1981年4月、独立に貢献した南機関の鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高の栄誉「アウンサン・タゴン(=アウン・サンの旗)勲章」を授与している〔藤井厳喜「教科書が教えない歴史 ミャンマー、インドネシア独立に尽力した日本人に勲章]」夕刊フジ 2014年2月26日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ビルマ国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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