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ピアノと管弦楽のための幻想曲(''fantaisie pour piano et orchestre'')は、クロード・ドビュッシーが1889年から1890年にかけて作曲したピアノ協奏曲。後年、作曲者自身によって改訂が行われている。 == 概要 == この曲はドビュッシーがローマ大賞を受賞して留学を果たしたローマにおける、一連の留学作品に位置づけられる。交響組曲「春」などもこの時の作品であるが、幻想曲が作曲されたのはヴィラ・メディチでの生活に居心地の悪さを感じた作曲者が、留学期間を短縮してパリへと帰国してからのことであった。ローマ大賞の留学作品としては、他に合唱と管弦楽のための「ツライマ(ズレイマ)」、カンタータ「選ばれた乙女」が生み出された。しかし、この幻想曲はドビュッシーの生前には初演も出版もされることはなかった。 初演は1890年4月21日に、ダンディの指揮で行われる手はずが整えられていた。しかしながら、この演奏会のために組まれた密なプログラムの制約から、ダンディは実質3楽章制であるこの幻想曲の第1楽章のみを取り上げることにしていた。この決定に納得できなかったドビュッシーは総譜を引き上げ、初演はキャンセルされることとなった〔この騒動の詳細については外部サイトUnderground Disc Museum 等も参照されたし。〕。またドビュッシーは楽曲の出来栄えに納得しておらず、1909年のヴァレーズ宛の書簡からは幻想曲の改定に対する意欲が窺える。 初演が行われたのは1919年11月20日のロイヤル・フィルハーモニック協会の演奏会であり、独奏を受け持ったのはアルフレッド・コルトーであった。 総譜は初演が予定されていた日付から3日経った4月24日に、Choudens社が200フランで買い取るものの出版には至らずに終わる。スコアが初めて世に出されたのは1920年になってからであった。ジョヴェール社からは1968年に、アンドレ・ジューヴによる改訂版が出版された。曲は1890年の初演で独奏者となるはずであったルネ・シャンサレルへと献呈されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピアノと管弦楽のための幻想曲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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